DUNE libartane

Hamburger Eyes

 

2001年に写真家としてキャリアをスタートさせたばかりのレイ・ポーテズは、ホノルルのキンコーズで夜勤のバイトしながら生計を立てていた。ハンバーガー・アイズの記念すべき一冊目は、この場所で産声を上げた。そのジンがハワイ・カルフォルニア間の仲間のもとをエアメールで行き交う度に、ハンバーガー・アイズの賛同者も徐々に増え、その後約10年の歳月をかけて、若手写真家達のDIYナショナル・ジオグラフィック的な存在にまで成長した。今年このサンフランシスコ名物が惜しまれながら幕を閉じるまで、ミッション地区の開拓された土壌で育ったアーティストは数多く、才能を開花させこの地を飛び立っていった。

 

2001年にレイはホノルルからサンフランシスコのミッション地区に移住すると同時に、カラー・アーツというフォトラボで働き始めた。その4年後良くも悪くもこのラボが閉店することになり、ラボの機材をオーナーからそのまま購入し、彼は仲間と共に同じ場所で賃貸契約を結ぶこととなった。彼らにとって初めてアジト、ハンバーガー・アイズ・エピックセンターが生まれた。出版社へと成長した彼らは、暗室のレンタル、学生やプロへのワークショップの提供など地元に根付いた活動を忘れることは決してなかった。その結果、サンフランシスコでクリエイティブの原動力を生み出し、アートカルチャーに係る全ての人間にとって、この場所を通過しない者など皆無と言っても過言ではない存在に成長した。

 

過去10年間で彼らは150もの出版物を刊行した他、アメリカ国内での写真展のキューレートなど、その名物施設はコミュニティーとともに成長してきた。言うまでもなく、発想の原点は人の集まる所で発生する。それを具現化する全てのアーティストにとりサンフランシスコの名物施設が閉店したという事実は、一つの時代の幕が閉じたことを意味するのである。

ハンバーガー・アイズとして発行した出版物はこの10年でどのくらいですか?

RAY POTES(以下R):16冊だよ。でもハンバーガー・アイズ以外のジンや作品集を150冊以上は作ったね。

代表的なコントリビューターとなったアーティストを教えて下さい。

R:レギュラー・コントリビューターはいっぱいいたけど、ハンバーガー・アイズを始めたその一日目から協力してくれたアーティストだけでも、ステファン・シミキック、デビット・ポーテズ、ジェイソン・ロバーツ・ドブリン、テッド・プシンスキー、デニス・マクグラス、ブライアン・デビッド・ステーブンズ、ジョン・オリバー・ホッジス、アレックス・マルティネズなどいっぱいいるね。

長い間作り続けてきた結果、ハンバーガー・アイズはどのような出版社に成長したと思いますか?

R:多くの写真家達と一緒にアイディアを交わすことは、それぞれのやる気を高めたと思うよ。それが反映されているといいけどね。

13年間サンフランシスコに住んでいますね。この街はハンバーガー・アイズにどのような影響を与えたと思いますか?

R:この街には被写体となるものが昼夜問わず存在していて、更にこの小さい街には沢山の写真家が住んでいる。だからサンフランシスコにいる人は自分たちをすぐに理解してくれた。この街じゃなければ、始まらなかったんじゃないかな。

なぜハンバーガー・アイズ・エピックセンターを閉めることにしたのですか?

R:この地域は地価が上り、商業的な不動産価値が高騰しているんだ。賃貸契約が終わって、オーナーが僕たちと再契約してくれなかったんだ。こうなることは分かっていたけどね。僕たちだけでなく、多くの住民や昔から商売している奴らもみんな同じ目にあっているのさ。

ハンバーガー・アイズの今後の予定はありますか?

R:同じことをやるよ!新しいアジトを見つけて、ジンを作る続けるのさ。

TEXT AND INTERVIEW BY EDDIE GOLDBLATT
TRANSLATED BY TOMOKO OKAMOTO

All photographs courtesy by the artist and Hamburger Eyes