DUNE libartane

DAISUKE TANAKA

DEPTH OF IDOL

田中大輔は、自らの痛みを写す。それらは紛うことなき実体験の記録であり、体に刻み込まれる永遠の記憶だ。街を気ままに流し、眼鏡に叶った場所を見つけては攻略に労を費やし、友と語らう。もしカメラを携えている日ならば、そのいつものルーティーンに〝ファインダーを覗く〞という行為が自然と組み込まれる。そうして得られるビジュアルは完全なジャンルレスだ。息を呑むライディングの写真もあれば、人間味溢れるポートレイトもあるし、状況を豊かに想起させるランドスケープもある。理詰めの堅苦しいコンセプトは、彼には単に足枷になってしまう。共通するのは、写る全ての光景を洞察力に満ちた、暖かく鋭いまなざしで見つめていたということ。そして結果として、視覚だけでは受け取りきれない圧倒的な情念とドラマが、彼の写真にはおのずと投影される。予定調和でない、偶然の煌めき。張りつめた緊張。喝采が齎す高揚。突発するアクシデントの予兆。恍惚。叫び。興奮。もがき。

 

19世紀初頭に登場して以来、その汎用性とアート性によって写真は人々の寵愛を受け続けて今日に至り、携帯電話やデジタルカメラの発展に伴って〝国民皆写真家〞の時代に突入している。当然思いは人それぞれ、きっと写真も皆が楽しんでくれるようになって本望だろう。だが忘れてはならないのは、撮影された写真の一枚一枚はそのすべてが前後に連なる無限の時のほんの一部分を切り取ったに過ぎず、勝手に拝借するにはそれ相応の責任と覚悟が不可欠であるということだ。そして決してその瞬間は待ってはくれず、一度カメラを構えればシャッターを切るのみ、普段の生活や肩書き、愛する家族や恋人、その他の些細な物事までの一切を捨て置かなければならない。つまり、シャッターを切るその瞬間のために如何に備えるか、ということが核心になってくる。そうして真なる写真の撮り手は、その儚い瞬間に人生を懸けているのである。「写真が一番緊張する」と語る彼の言葉からは、構図やライティングといったマニュアル通りの基本事項もさることながら、それよりも先に踏まえなければならないことの多さが伺える。近年の急速な技術の向上のおかげで、見栄えを取り繕うことは簡単だし、元々ないものを足したり余計な部分を消したりすることさえ、ものの数分だ。ただし、それは〝真を写す〞写真の一側面に過ぎない。同時に、そこにはまやかしの類は映り込む余地すらないという写真の不可侵性は未だ健在である。その愚直な性質は、彼の根幹を担うスケートボードにも通じる。経験のみが説得力の源であり、良し悪しはあれど間違いはなく、正解もない。そうしてひたすら繰り返し、求めることで深みは増していく。だが、決して気負う必要はない。一本のフィルムを入れて数週間かけて撮り、ときにはカメラを持っていなくてチャンスを逃したことを後悔する。まるで呼吸するかのように、と無意識の境地を追求するようなスタイルではない。毎日欠かすことなく撮影することを自らに課すような窮屈なアプローチでもない。あるがままであること。それが彼のリズムであり、極意なのである。

 

DIGINNER GALLERYを皮切りに巡回する『DEPTH OF IDOL』は、自身初のギャラリーでの個展だ。日々の営みの中で垣間見た数多の事柄へ、彼の敬意と愛情がたっぷりと注ぎ込まれた内容になっている。モノクロで統一され、壁に直接張られたりフレームに入れられたりして並ぶ写真たちからは、どこか静かな印象を受ける。その静けさの正体は、街と共に呼吸し、良いことも悪いことも真摯に受け止め、現実から目を背けて浮足立った世の中を眺める、奥底からの静寂だ。我々はその静けさに心を傾け、今自分が描いている平穏や幸福について今一度考える機会を設けるべきだろう。まさぐって、切り拓いて、少しでも前に進もうとする彼がその道中を丁寧に収めた写真。そこには、絶えることのない希望が宿っている。

TEXT BY SOUSHI MATSUKURA

All Images courtesy by the Artist