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WHITNEY MUSEUM

The Whitney Museum Goes Back to the Future

今年ニューヨークで開催されたもっとも重要なアート・イベントといえば5月1日に行われた、レンゾ・ピアノ氏により設計された新しいホイットニー美術館のお披露目だ。星の数ほどあるレビューやインタビューをみれば、千年に一度の規模での芸術に関するニュースかもしれないという印象に容易に至るだろう。由緒あるランドマークの遅々とした移転は、区や市のレベルにとどまらず、世界規模での潮流変化を象徴している。勇気ある正しい処置が新しい時代の前兆となる一方で、一つの過ちが美術界に存在する意識過剰な生態系に甚大な被害を齎すバタフライ効果となる。その中でホイットニー美術館はメトロポリタン、グッゲンハイム、MoMAと並ぶニューヨーク四大美術館のリーダーとして、一般大衆と文化団体との関係を形成することに尽力をつくしてきた。ミシェル・オバマをはじめ多くの重要人物たちがリボンカット・セレモニーに出席し、最初の来館者たちが美術館の建物に熱く迎え入れられてからすでに数か月が過ぎ、新しいホイットニー美術館は色々な意味で定着が進んでいるようだ。

 

ホイットニー美術館の成り立ちは、その名称の由来である創設者ガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニーの好みであり、当時はほとんど注目されなかったアメリカの前衛的芸術を紹介する“ホイットニー・スタジオ・クラブ”を設立した1914年に始まる。自身も熟達した彫刻家だったホイットニーは、現代アメリカン・アートの熱心なパトロンとなり、素晴らしいコレクションを蒐集した。彼女にとって最終的に美術館へとつながる最初の原動力となったのは、アメリカの学芸員たちがヨーロッパ・モダニズムを優先し、新たな才能が自分たちの裏庭で育ちつつあることを認識できないことに対する反発だった。今では想像し難いことだが、彼女がメトロポリタン美術館に対して申し出た自身の700作品を超えるコレクションの寄贈を、この巨大な美術館は断わったのである。ヴァンダービルトを自身の美術館創設に向けて促したのは、この拒絶だった。彼女の曽祖父は鉄道王コーネリアス・ヴァンダー ビルトであり、彼女の夫ハリー・ペイン・ホイットニーはピューリタンを起源とする裕福な政治家一族の子息であった。アメリカン・アートを保持する特別な施設が、アメリカの歴史において最も高名な家系のうちの二つと繋がりを持つ女性の発案によるという事実は、この美術館にアメリカン・アートにおける正統なる血筋を裏付け、育成し、さらにそれを新たに定義付けさえする一種の宿命を与えた。最初のホイットニー美術館は、現在の光沢のある新しい建物からそう遠くないグリニッチビレッジの西8丁目にあるテラスハウスを改装し、1931年にひっそりと創設された。その後1966年にマンハッタンのアッパーイーストサイドのマルセル・ブロイヤーによる象徴的なブルータリズム建築が、2014年10月に行われたジェフ・クーンズ回顧展で成功を収め出て行くまで最も長い住処となった。皮肉にもこの場所は、メトロポリタン美術館が現代美術コレクションによる拡張準備を整えるために貸し出される予定だ。

 

ホイットニーの拡張案は何十年も検討されてきたが、それは美術館関係者や理事たちにとって大きな頭痛の種であり、移転の選択はレンゾ・ピアノが設計者として決定されるまで検討の対象になかった。計画案は1985年のマイケル・グレイヴスから2001年のレム・コールハースまで多くの人の手を経て、その都度、反対や煮え切らない後押しを受け、ディレクターの一人が途中辞任し破棄された。この巨大なプロジェクトが物理的に実現したのは、文字通り長年の夢であった。

 

4月に行われた落成式にて、レンゾ・ピアノは一際心のこもった印象的なスピーチを行なった。白髪頭の77歳であっても、彼の姿勢はまっすぐでエネルギーに溢れていた。冒頭の挨拶で彼はこう言った、「マンマ・ミーア、なんて嬉しいんだ!」そして完成までにほぼ9年を費やし(建築年数としては一瞬のようなもの)、4億2200万ドルの値がついた建築について彼がどう考えているか、率直かつ陽気に話を続けた。「この真新しいピアッツァ(広場)へようこそ。誰かがここをこの建物のロビーと呼んだけれど、私はピアッツァと呼びたい。悪いけど私はイタリア人なのでね。これについては、私にはどうしようもできないんだ」このシンプルな表現によって、ピアノは美術館とこの建築家が何を成し遂げようと目指したのかを要約してみせた。それは大衆とアーティストおよびその作品とが、収束する場所を創り出すことだ。

 

「芸術は自由だが、アメリカの芸術はとりわけて自由だ。いささか粗野で、やや洗練を欠くけれども、とにかく自由、自由なのだ。この建築は、それを表現しなくてはいけない。そしてこれらのコレクションを収蔵する名誉に相応しいものでなくてはいけない。だからいささか粗野で、やや洗練を欠くけれども、勇敢であり、常識に囚われない、とにかくリアルなものになったんだ」

 

新しいホイットニーは、一方がウェストサイド・ハイウェイに突き当たり、ハイラインがその北側まで突き出たガンズヴォート・ストリートの最西端に位置する。大きさや質感は船のような外観だが、同時に巨大なコンテナがランダムに互いの上に積み重ねられたかのような重量感を帯びている。建物として明らかな美しさはないが印象的であり、まだ自己主張はしてないが、一世紀前にこの美術館が最初に根を下ろしたウェ
ストヴィレッジとチェルシーのギャラリーが乱立しているボヤけたこのエリアを中和し、いずれこのエリアにおけるアンカーとなるだろう。

 

建物内部は8つのフロアーで構成され、そのうち4つがギャラリー、1つがパフォーマンスと映写のためのフロアーであり、さらに屋外はギャラリーとして機能するように設計された他に例を見ない約121平方メートルのテラスエリアを特徴とした構造になっている。パノラマの眺望が、足元に広がるゴッサムの魅惑的な格子模様とともに開放的なハドソン川に向かって伸び、早くも旅行者と地元の人間にとって人気の自撮りスポットとなり、観客と都市とが共演するステージとなった。5階のテラスではライトグレーの階調からなる単色構造の中に、メアリー・ハイルマンによるキャンディのようなカラフルな椅子たちで構成されているインスタレーションも、上の階から見れば楽しさも倍増だ。”Sunset”というタイトルが示す通り、これらの椅子は太陽が沈むのが見える場所に位置している。レンゾ・ピアノは、これら屋外スペースの功利主義的で理想的な活用を詩的な表現でこう説明している。

 

 

「建物は太陽が昇る東から延び、都市と密接になる。テラスや階段で、人々がそこで人生を楽しみ、時を過ごし、時には当てもなく歩くこともできる場所なのだ。そして太陽が沈む西側では、建物はまた別の顔をみせ貴方に語りかけるのだ」セレモニーでピアノの人々に響くスピーチの後、演壇に立ったミシェル・オバマはこう発言した。「この建物をとても気に入ったわ、素晴らしい場所ね。でもレンゾ・ピアノが話すのを聴いて、もっと好きになったわ!皆さんも彼の話を聴いてこの建物がもっと好きになったでしょう?」これには同意せざるをえない。彼はカリスマ的であり、彼を通じてこの建物もカリスマ的なものになる。しかし、このような場所はきわめて機能的であることも求められる。

 

美術館のディレクターであるアダム・ワインバーグは、現場の優先事項や学芸員の懸案事項に関する事実上のメッセンジャー(代理人)だ。「新しい建物に関しての私たちの考えは、アートがここで息づくために充分な空間があるというだけでなく、建物自体がアーティストの題材となるべきだということでした」まさにその通りで、新しいホイットニーでは、エレベーターすらもリチャード・アーシュワーガーによる芸術作品なのだ。ギャラリーは、抑圧した感覚を与えずに、スケールの異なる作品が並んで存在できるような広々とした大きさと流れを備えており、新鮮な体験となるだろう。そして、自然光と周囲を取り巻く都市の雰囲気を取り入れるために床から天井まで伸びた大きなガラス窓は壮観である。この美術館が持つ開放性は、芸術や建築に関する批評家による深い考察の対象になっている。ニューヨーク・タイムズのマイケル・キンメルマンは、それを「建築に対する寛容さ、都市と繋がるアートの感覚、そしてその逆となるもの」と表現した。別の批評家、ニューヨーク・マガジンのジャスティン・デビッドソンは彼の評価において少々の皮肉を込めた。「新しいホイットニーは、アートに退屈しやすい人々にとっては、絶好の場所だ」双方とも間違ってはいない。

 

新しい建物の内外における可変性、そして階段が地表の広場とともに遊園地のようなクオリティーで美術館の周縁を形成している様子は、1977年にやはりピアノとリチャード・ロジャースにより設計されたパリのポンピドゥー・センターを想起させる。以来、文化的な常套手段となった革新的な式典だった。

 

テラスは素晴らしく魅力的であるが、注意を向けられるのであれば最初の展覧会“America Is Hard to See”は至高の喜びを得られる機会として注目すべきだ。この美術館の常設コレクションから選ばれた約400人のアーティストによる600作品が、時代、テーマ、フロアーによって分けられ展示されている。

 

8階は“Abstracted Forms”、“Breaking the Prairie”、“Fighting with All Our Might”などのテーマの下、1910~1940年までの作品により20世紀の幕が開けられており、ジョージア・オキーフやマースデン・ハートレーなどによる作品を目玉としている。7階は、ジョゼフ・コーネル、エドワード・ホッパー、マヤ・デレン、メアリー・エレン・ビュートの作品により、1925~1960年のシュールレアリスムから抽象的表現主義までを集めている。もう1つの区画には、ウィレム・デ・クーニング、ジャクソン・ポロック、ジョアン・ミッチェル、ヘッダ・スターンが“New York,NY1955”の括りにより集められている。6階(1950~75年)はナム・ジュン・パイク、マリソル、アレックス・カッツ、ロバート・ベクトル、ヴィヤ・セルミンスからなるミックステープ的グループと並んでアンディ・ウォーホルとクレス・オルデンバーグの作品によりポップアートを探求している。最後に、5階(1965年~現在)は、フェミニズム(エイドリアン・パイパー)、エイズ(ドナルド・モフェット)、アフリカ系アメリカ人の経験(デイビット・ハモンズ)、9/11など最近まで幅広い無数のテーマの中で、「Rational Irrationalism」のタイトルの下、シンディ・シャーマンやエド・ルシェなど著名な作家のコンテンポラリー作品を集めている。

 

“America Is Hard to See”というタイトルは、1951年の、幻滅に関するロバート・フロストの詩から採られたものだ。理解しがたいことと、直感的に恐ろしい何かに遭遇することの示す二重の意味は、アメリカン・アートを構成するもの、そしてアメリカが自国民およびそれ以外の世界に対して意味するものの曖昧さに相応しい。スコット・ロスコップ、ダナ・ミラー、カーター・フォスターとともにこの展覧会のキュレーターを務めた、この美術館の主任学芸員ドンナ・デ・サルヴォはこう語った。「ホイットニーは建物ではなく概念なの」これに対し、美術評論家ジェリー・サルツは「その概念が聞きたいのだ、それが『アメリカン・アートとは何か?』ということなのだ」と問いかける。“アメリカン・アートの美術館”という概念は、南北アメリカ大陸を構成する他国を露骨に排除する帝国主義的な観点が疑わしく、これは反対質問を受けるに値する問題である。完璧な施設など存在しない。しかし、ホイットニーの古い伝統的ルールから距離を置くその新しい型破りな空間のおかげで、来館者とアーティストは文化施設が包括的でリスクをいとわない取組みにより、新たなグローバル化の時代にどのように見え、どのようなものになりうるかを想像することができる。落成式にも出席したホイットニー美術館名誉館長でガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニーの孫娘、フローラ・ミラー・ビドルは柔らかいが毅然とした口調で語った。「美術館は終わるべきではなくて、限り無いもの、動き続けるものになるべきね」彼女は、このゲーテの引用に彼女自身の信念としての言葉を付け加えた。「この並外れた新しい建物の物理的な構築は完成して、美術館は来館者を迎え入れる準備ができたけれど、美術館の原動力はアーティストなのよ。アーティストが何をするのか、そしてその作品がなぜ大切で必要なものであるのか、アーティストが私たちを未知のもの、神秘、英知、真実の中へと前進させるの」

 

一般に公開されている美術館のロビーには、より公ではない人目にはつかないもう一つのギャラリーが存在する。そこへ入ると、エリザベス・ペイトンの作品と見紛いそうなロバート・ヘンライによるガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニーを1916年に描いた鮮やかな油絵と遭遇する。彼女は長椅子に腰掛け、過去から自身の美術館への来館者を歓迎しながら、遠慮がちに将来を見つめている。

TEXT BY CAROL LEE
Photography for all works Digital Image © Whitney Museum, N.Y.