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VICTOR PAYARES INTERVIEW

失敗したユートピアで生まれた男の描く世界

2016年3月20日、アメリカ合衆国大統領のバラク・オバマが現職のアメリカ大統領として88年ぶりにキューバを訪問し、7月1日には54年ぶりにキューバとの国交回復を正式に発表した。このニュースは全世界で“キューバの雪解け”と題され、大々的に報じられた。連日報道されるこの歴史的瞬間に、あるアーティストのことを思い出した。キューバ生まれ、アメリカ育ちの男だ。ニューヨークのグラフィティライターAKSが連れて来た彼は、物静かで言葉数は少なく、決して社交的な人間ではなかったのを覚えている。当時ダウンタウンに住んでいた私のアパートに遊びに来たときも、彼だけはずっと持参した紙とペンを使い、絵を描き続けていたように思う。しかし、途端に会話がアートやグラフィティのことになると、良く喋る男でもあった。元々マイアミを拠 点とするグラフィティライターで、ILS/RUSO/Victrなど、幾つものタグネームを使い分けて活動していたが、すでにそのころから芸術家としての顔も持っていた。主にマイアミやニューヨーク、そしてスウェーデンなどヨーロッパにまで活動の場を広げ、毎年マイアミで行われるアートバーゼルにも出展、多くの個展を成功させたにも関わらず、現在はロンドンのアートスクールにてMA(Master of Arts degree)修士号を取得するため学校に通うという、なんともつかみどころがない男だ。以前に彼と約束をしたことがある。それは、「お互い別の道を進んでいるが、いつか一緒に何かしよう」と、私はキューバとは全く所縁のない人間だが、”キューバの雪解け”というこのタイミングで、ハバナ生まれの友人を紹介出来ることを心から嬉しく思う。

キューバはハバナ生まれとのことですが、どんな環境で育ったのですか?

VICTOR PAYARES(以下、V):幼少期は1,126万人も人がいる島で育ったから、色んな経験をして、本当に勉強になったよ。学校よりももっと意味のあるものを見てきたように思う。俺が生まれた1985年のハバナは、20年間続いた社会主義によって人々の不満が多かった。パラダイスになるはずだった場所、結果失敗したユートピアではあったけど、俺にしてみれば長閑な生活の連続だった気がする。基本ハバナでの生活は不条理なことがたくさんあったけど、いい時間を過ごしたよ。そして、10代になる前にマイアミに移ったんだ。キューバを嫌いになる前に国を出た。もしあのまま国に残っていたら、きっと兵役や夏じゅうタバコの栽培をすることになっていただろうしね。そして、努力と奇跡のおかげで、俺はアメリカの15日間ビザを手に入れた。1995年2月14日、この日は俺にとって思春期の最初の日だった。もちろん、15日間で戻ることはなく、そのままアメリカに居続けた。

アートやアーティストになることに興味を持ったきっかけはなんですか?

V:父親も芸術家だったこともあって、アートに触れることは最初から自然なことだったよ。子供の頃からとても敏感だったし、芸術的なモノにいつも囲まれているのを楽しんでいたと思う。祖母は家でバレエを教えていたし、父とはよく「キューバ映画芸術産業庁」(ICAIC)へ行ったりしていた。キューバの政府は共産主義に反対しない限り、芸術のサポートがしっかりしていたんだよ。芸術は他の職業と同じ重要性があるものだと認められていたしね。そういった環境は模範になっていたと思う。正直、このような環境下だったからこそアートに興味を持ったのか、それとも自主的に興味を持ったのか、今ではよく分からないね。

マイアミでの日々にはグラフィティライターとしても活躍していましたが、現在の作風とは大きく違っていました。グラフィティとアートで違いを意識しているのですか?

V:グラフィティとアートを区別しているつもりはないけれど、思うにグラフィティは作品を残すということだけでなく、反抗的精神や態度でするものだと認識している。もちろん、今でもその感覚は持ち続けて作品はつくっているよ。

好きなアーティストや映画、本、音楽など、人生において影響を受けたモノはありますか?

V:色々な作品を見て好奇心が湧いたり、影響を受けたりするっていうことは多々あるけど、絶えず変わってもいるかな。昨日影響を受けたものが、今日も同じとは絶対言えないだろ?でも俺は基本、汎心論(生物や無生物に関係なく、万物に心があるという考え)みたいに、材料や構成を考える上でも、そのようなアプローチの仕方を心掛けているんだ。だから大抵は何かに影響されたアイデアだったりするけど、企画なんてものは、結論に結びつかないことの方が多いように思う。だから、曖昧でいることは大切なことだよ。最近ガブリエル・ガルシア=マルケスを読んで、彼の軽妙な言葉のやりとりに驚いたんだ。それは、まさに街中で走ってるフードトラックのドネルケバブが、くるくるつま先を立てて回るバレリーナに見えるような、そんな錯覚を起こさせるほどに巧みな言葉だったんだ。彼の作品に影響されたことで、物との関係を考えながら、作品の材料を選んでみたんだ。それでも、影響は変わるものだよ。道で色んな物を拾ったりしている。ケーブル、プラスチックの破片、ガラス、洋服のタグ、色々捨ててあるもの。1つ1つの物には、美しいことが何かしらある。それらをスタジオに持って帰り、作品に使ったりする。拾ってきた物がどこからどんな風にたどり着いたのかということも、時には影響に繋がる。音楽については最近Simple Radio(アプリ)を作業中に流して、世界中の色んな放送局を聞いているかな。

自分の作風を一言で表すとしたら?

V:強いて言うなら、果物のグレープフルーツかな。見た目より中身のジュースが多いだろ。

作品を作る際は、最初から頭の中で完成形があるのですか?

V:もちろん最初からやりたいことはあるけど、作業中に自然にディレクションが決まっていくんだ。出来上がった作品が最初に思っていた絵とは違ったりすることは多いし、それは利点としても考えている。


今後のプロジェクト、または最新の作品のコンセプトを教えてください。

V:ロンドンにあるLycheeOneというギャラリーでソロショーがあるから、7つの新しい絵画と、彫刻作品1点のユニットを仕上げてるよ。この7つの絵画シリーズは、自分が育った家の大部分を占めてたアール・ヌーヴォー様式にみられるモジュール式の窓をコンセプトに制作したんだ。まるで自分の記憶や思い出を物にして、それを絵にしていくような作業だね。そして、その絵を通してまた思い出ができていく、みたいなことかな。将来作ろうと思ってることは、今やろうと思うんだ。いまは、自分 の周りにある物を描写していくことをコンセプトにしてる。重要なものを化身させていくような感じだね。現在は自分の記憶をベースに組み立てるのをテーマにしてるけど、次のステップでは自分自身ではないことにするかな。テーマを自分から離していく作業を試みるのにも、美しさがあると思うんだ。最近では、自分で描いている絵は誰にでも描ける可能性があるって思い始めてるしね。

マイアミ、ニューヨーク、そしてスウェーデンでも活動の場を広げ、現在はロンドンにいらっしゃいますが、次の拠点に考えている都市があれば教えてください。

V:女王が許可してくれる限り、このままロンドンにいたいね。その後のことは誰にも分からないよ。

7月にあなたの母国キューバと、育った国アメリカの国交が45年ぶりに回復することで正式に合意しましたが、如何ですか?

V:どこの文明国にもあるインターネットや原材料、商業を与えてあげてほしい。オバマとラウール・カストロのぎこちない握手がその方向へ進む証明だとするなら、俺は喜んで承認するよ。

TEXT AND INTERVIEW BY MASAKI NAITO TRANSLATED BY RIBO AZUMAYA PHOTOGRAPHED BY ARI KING
文・インタビュー 内藤正記 翻訳 東谷里望 写真 アリ・キング