DUNE libartane

TINO RAZO INTERVIEW

生きてスケートして好きなヤツと楽しむ、それだけかな。

1989年から2010年までマンハッタン(LES)のラドローストリートにあったバー、Max Fishに行ったことのある人間なら、きっと彼の顔は覚えているだろう。客なのか、バーテンダーなのかオーナーなのか、何者だか謎だったが、オレにはドリンクをふるまってくれる気の良いヤツだった。ソーシャルクライマーが多いダウンタウンの世界では珍しく地に足がついていて、魅力にあふれた人間だった。彼は決して自分の事を多く語らなかったが、数多くの友をもちリスペクトされる、愛すべき存在だった。ニューヨークからロサンゼルスに移り住み、新しい土地でも変わらぬ生き方をしている彼を見て、手本にするべき存在だと確信した。そんな彼が撮った写真が今年の3月、NYのMILK GALLERYにて発表され、写真集『Party in the Back』が出版された。そんな記念すべきタイミングで、その心境を聞いてみた。

幼少期はどんな子どもでしたか?またヴェルモントではどうやって育ったのですか?

TINO RAZO (以下T):俺の知っている限りでは、半分はフィリピンの、残りにはフランスとアイリッシュの血が入っているらしい。元々父親がワシントンに引っ越して、そこで母親と出会ったんだ。彼らは引っ越しを繰り返したけど、最終的に仕事でヴェルモントに辿り着いた。ヴェルモントは本当にヤバイ街だったよ、良い意味でね。そこで育ったことを今でも幸せに思ってる。スケートをするのも、家族と一緒に過ごすのも、空気を吸うことも全て最高の場所だった。本気で自分は素晴らしい幼少期を過ごせたと思ってるよ。

その後、ヴェルモントからどうやってニューヨークに移り住んだのですか?また、その時の様子を教えて下さい。

T:自分は記憶力がもの凄く悪いんだけど、一番上の兄貴のアンドレが確か90年代頭くらいにニューヨークへ引っ越したのがきっかけだったかな。もう一人の兄貴も直ぐにニューヨークへ引っ越したんだ。スケートと家族が何よりも好きだった自分には、彼らに続いてニューヨークへ行くことは、とても自然な流れだったと思う。また田舎町に住んでいて、近くのメジャーな街でスケートをしたいという気持ちがずっと強かったから、ニューヨークが最善の策だったと思う。引っ越した当時は、洒落にならないぐらいのカルチャーショックを受けたよ。みんな行ったことがあるか知らないけど、当時は特に何もない街だったからね。そしてヴェルモントには白人しか住んでいなかった。そこでは「時間が出来たから他の街へ遊びに行く」なんてことは絶対になかった。遊びでもヴェルモントを出るってことは、いつも友達の家とか外泊するつもりだったかな。ヴェルモントに住んでいたときは、本当にいろんな違った人生を過ごしている気分だったよ。

ニューヨークに移り住んだ後は、Max Fishというバーでセキュリティーとして働かれていましたね?バーテンダーではなく、なぜセキュリティーだったんですか?

T:真ん中の兄貴のマークがしばらくMax Fishで働いてたんだよ。もともとはアヴェニューAにあるSpoonsってバーで働いてたんだけど。そこは僕らの友達のランスがオーナーで、スケーターやグラフィティライターが集まる飲み屋だった。だけど突然店が閉まっちゃって、マークは仕方なくMax Fishで仕事を見つけて働き始めたんだ。オレはファッション関係でメイシーズのクリスマスのショッピングウィンドウ用に、発泡スチロールで彫刻とかを制作するスタジオで働いてたけど、ヴェルモントで一緒に高校に行った友人のアマンダからMax Fishの仕事を紹介してもらったんだ。俺がどんどんダメになって行くのを先に働いてた兄貴が見かねて、トイレと床掃除の仕事を用意してくれたんじゃないかなって思ってるけどね。そこからは本当にジェットコースターみたいだったよ。セキュリティーをしばらく担当してた奴等がクビになって、連日変な輩が集まる場所にセキュリティーなしは不可能ってことで、無理矢理彼らは俺をセキュリティーガードにしたんだ。まだ25歳だった俺にだよ。本当にクレイジーだったよ。オレの人生の中でトップに入るぐらい、クレイジーな時期だったね。でも最高に幸せな時間だった。オーナーのウーリには心から感謝してる。セキュリティーガードにしてくれたことをね。そしてある日の夜、一人のバーテンダーが急に病欠した時に、もう一人のバーテンで友人のディズリーが俺をバーの裏に呼んで手伝いをさせたんだ。その日以来、オレはバーテンダーになった。それよりももっとクレイジーなのは、その3年後ぐらいにはこのディズリーと恋に堕ちて、僕らは2006年に結婚したんだ。

Max Fishで一番記憶に残る、良い思い出とはなんですか?また、反対に嫌な思い出はありますか?ケンカやトラブルはありましたか?

T:Max Fishで過ごした時間は、死ぬまでずっとオレの宝物だね。一人で過ごすニューヨークは、もの凄く自分の視野を広げてくれた。またMax Fishが更に、オレの目を沢山の人や自分自身にも向けてくれた。もともとそれまではシャイな性格だったんだけど、きちんとした人間にしてくれたって思いが強いね。地元のアーティストからドラッグディーラーまで、そして近郊からわざわざ遊びに来る変な奴等、みんなオレにとっては最高のお気に入りだった。一夜で彼らとはベストフレンドになれたけど、12年経ってもまだ彼らの名前や仕事なんて知らないよ。ただオレはあいつらが何をMax Fishで飲んでたか、今でも鮮明に覚えてるよ。このズバ抜けた能力は経験の賜物だね。ケンカ?もちろん。あと恋愛も沢山したよ。自分にとって大きな恋愛もその中の一つだね。それと色んな人がベストフレンドになったり、そのベストフレンド同士が敵になったりする状況も見た。またストレートな人間がゲイになっていく瞬間、そしてその逆も。まさしく全部見たね。クレイジーな人たちが住む昔ながらのローワーイーストはどんどん綺麗にされ、最終的にはMax Fishという場所をも追い出したんだ。本当に最悪な街に なったよ。

ZERという名前で、グラフィティライターとしても活動されていましたよね?IRAKのメンバーになった経緯などを教えて貰えますか?

T:IRAK crew for life!オレはグラフィティが下手だけど、落書きや破壊行為は凄い好きだった。スケーターになりたいと思う気持ちとほとんど同じかな。ニューヨークの初日にSNOT(後のEARSNOT)と会ったんだ。オレはみすぼらしい格好のローワーイーストのホームレスだったけど、彼はまさにAstor Placeにいる不良って感じだった。その後も何度か会ったりしてたんだけど、突然彼は姿を消したんだよ。しばらく経ってまた、彼は街に顔を出すようになったんだ。それも凄い洒落た格好をしてね。確かNORTHFACEのジャケットにカッコいい自転車で登場したように覚えてる。彼はブロンクスにしばらく居て、自分の人生を変えて名前も”EARSNOT”に変えて街に戻って来たんだ。メチャクチャ格好良く見えたよ。彼はその生き方を確立して、今でも貫いてる。尊敬するよ。オレはずっとぶらぶらした生活をしてたから、彼がクルーに招いてくれて一緒に街を練り歩くようになったんだ。時代を越えても決して褪せることのない経験が出来たと思ってるよ。

現在はロサンゼルスにお住まいですが、カリフォルニアには仕事で移り住んだのですか?

T:ローワーイーストがMax Fishを追い出したことで、オレも2週間ほど職を失ったんだ。そんな時エーロンがSupremeの仕事を紹介してくれたんだ。でもLAだった。自分に必要だったこともあるけど、最終的には自分が想像した以上に、最高の人生の変化になったね。今オレはこの地で自分の仕事と友達を持つことが出来て感謝しているよ。スケートは正直何処に行ったって出来るけど、今居る場所は若い頃のようにワクワクさせてくれるんだ。

西海岸のプールの写真を撮るようになったきっかけはなんだったのですか?自身の写真(作品)についてお聞かせください。

T:オレは何処にいたって、どの国にいたってスケートはする。全く新しい場所でもスケートする場所を探すよ。LAに引っ越してすぐに、昔の友人であるリックたちと繋がって、彼らが初めてニュージャージーのアズベリ・パークにあるプールへ連れて行ってくれたんだ。その後もLAでプールに連れてってくれるようになった。東海岸にもプールはあるけど、西海岸はまるでニューヨークのピザ屋と同じぐらいの数があるんだよ。それには本当に驚かされた。まさに自分を虜にさせるモノだった。自分が30年以上もやって来た世界で、まさか新しい発見が出来るなんて思っても見なかったからね。何かまったく新しいモノを貰った感じになって、ずっと頭の中から離れず動き回っていたんだ。そしてスケートをした後に、携帯のカメラで少し写真を撮ったんだ。その時にデジタルじゃなくてフィルムで撮りたいと思って、それからもっと写真を撮りたいと思うようになったんだ。そして一連の作品へと繋がっていった。そこから自分自身ももっと大きなプロジェクトとして取り組みたいと思うようになったのがきっかけかな。

今まで影響を受けたアーティストやカメラマンなどはいますか?

T:基本的には自分の周りにあるもの、すべてに影響を受けている。子供の頃見てたスケートボードのグラフィックであったり、マガジンであったり、アーティストになった友達や家族からも影響は受ける。全ての人やモノが自分に影響を与えていると思う。ただ自分はアーティストではないと思ってるよ。

数年に渡って南カリフォルニアで撮りためたプールの写真を『Party in the Back』という本で出版されましたが、出来上がって思うコトはありますか?

T:自分は意欲と集中力で正気を保っていると思う。面白いのが、若い頃はスケートが唯一精神的に安全な場所だと思ってた。でもそれは今も同じなんだよ。30代後半になって気付いたけど、スケートはベストフレンドであり、いつも側にいて決して裏切らない。それがあったからこそ今回も大きな課題に挑戦し、やり遂げられたと思う。自分のために、ただスケートして仲間たちをドキュメントしただけなんだけど、結果それが自分を癒してくれるモノであったと気付いた。あとは何よりも、(前妻で亡くなった)ディズリーの為だと思ってるよ。愛する人に想いを伝えることは大事だと思うんだ。自分自身を乗り越えて、あとは楽しむだけさ。

TEXT AND INTERVIEW BY MASAKI NAITO
SPECIAL THANKS DESIREE ZONDAG