DUNE libartane

THE CHEF’S WHITE LABEL

BRASSFOOT AND FUNKINEVEN INTERVIEW

「日本に行く前に俺の音楽を聴いてってくれよ」僕が日本に旅立つ1週間前にStevie(Funkineven)にそう言われたことをよく覚えている。彼が作っている音楽にとても興味はあったけど、ロンドンを去る前にスタジオに寄ることが出来なくて、それから2年も経たないうちに僕はそのことを強く後悔することになった。キングスランド・ロードのダルストンストリートとショアディッチストリートの間にあった大きな地下室のパブMelangeで、StevieがSTEVIE JとしてDJしているのを初めて見たときから、彼には何か特別なものを感じていた。僕とBrassfootもSpexsaversとしてそこでDJしていたし、Lord TuskもChain Gangというクルーのメンバーとして参加していた。その日はChain Gangがその地下のパブで、人生で一度しか経験できないようなレイヴパーティー〝Assembly Line〞をやっていた。空気の密度は濃くなり、壁は汗で湿り、地下室は爆音と熱気で膨張していた。もちろん違法だけどそこに居る人はみんなとても楽しんでいる、そういう最高のパーティーで僕は彼のDJを初めて見たんだ。

 

東京で過ごした8年間、Funkineven、Lord Tusk、Brassfootのような友達が世界的に知られるアーティストとして、そしてDJとして、その才能とキャラクターが華開いていくのを見るのはとても光栄なことだった。Apron Recordsのレコードが世界中で売れていることや、Jay DanielやKyle Hallのようなアーティストと自然に友達になれることも、僕らがその感覚を〝知っている〞からこそだった。正直、秘密の社交クラブに属しているような気分さ。そして、僕らが有色人種だということもそれに拍車をかけた。実際、僕の兄弟たちが、若い黒人男性のほとんどが踏み込めないでいる音楽のフィールドで成功していくのをみるのはとても誇り高きことなんだ。

 

これまでに述べたアーティストたちは皆、神秘的な空気を自然に漂わせている。彼らの普段のコミュニーケションやそれぞれの関係性においても、外からみれば理解出来るか出来ないかの世界なんだ。もしそれを理解していると感じていても、おそらく完全には理解できていないだろう。Apron Recordsからリリースをしていないと持てない考え方を彼らは共有しているのだから。8年ぶりに去年ロンドンに戻っていたとき、イースト・ロンドンにあるApron Recordsの本部で過ごしたいくつかの夜の中で僕が感じたことを話そう。最初の夜は僕のために開かれた同窓会のようなものだった。NTSのMr.Wonderful、LordTusk、Brassfoot、Funkinevenやその他の友人が、僕が故郷に帰ってきたことを実感させてくれた。そこで起きたことを事細かに話すことも出来るけど、僕らは日本にいるからここでは何も言わないことが最善だろう。もし僕に直接話す機会があれば何なりと聞いてくれ。1週間ほどしてBrassfootから電話がかかってきた。その夜にみんなで集まることになっていて、彼が迎えにきてくれた車に乗り込んで、ツアーのためにデトロイトから来ているJay DanielとKyle Hallと顔を合わせるためにヤサに向かったんだ。同窓会の時とは全く異なる空気がヤサには漂っていて、夜のほとんどがパーティーではなく会話で占められた。和んで音楽に耳を傾けるような、とてもリラックスした雰囲気。そしてFunkinevenの〝時間だ〞の一言で僕ら5人は夜の街へと繰り出したんだ。KyleはFunkinevenの2人乗りのAudiTTに乗り込み、僕とJayはBrassfootの運転でノース・イースト・ロンドンから〝シティー〞と呼ばれるシティー・オブ・ロンドンを抜け、タワー・オブ・ブリッジを通って、何人かのいわゆる〝カリビアン〞たちを拾い、サウス・ロンドンまで向かった。帰り道でBrassfootが曲がる角を間違えたから、遠回りするハメになった。その帰路の間に口にした塩魚とキャラルー、さまざまな飲み物とスプリフ、それから時差ボケのせいで僕はヘトヘトになったんだ。そして、また新しい忘れられない一夜になったんだ。

 

別の日に僕とStevieでイースト・ロンドンからウエスト・ロンドンまで寄り道しながらドライブしたこともあったけど、その話は次回にとっておこう。とりあえず、以上に述べたアーティストらに加え、A Tribe Called Colin、Greg Beato、Adam FeingoldやJMS KHOSAHなどを中心として、過去に何度となくおこったある種の音楽的新時代を新たに迎えていることを僕は強く感じている‥。流行好きの人は流行ってからで良い、でもエッジが好きな人は早くチェックした方が良いぜ!

 

 

BRASSFOOT INTERVIEW

 

仲の良い友人をインタビューするのはなんだか変な感じだけど、他の人よりも相手のことをよく知っているという部分においては的を射ていると思う。だから以下のBrassfootとFunkinevenのインタビューには、それが反映されていることを願う。

君の家族は深く音楽に携わってきているよね。その音楽的背景について教えてくれないか?

Brassfoot(以下、B):週末の朝は大抵、揚げたての餃子の匂いと大音量の音楽で目を覚ましたものさ。僕の原点となっている様々な音楽、レゲエ、ラヴァーズ・ロック、カイソ、カリプソ、もしくはGalaxy Radio(黒人コミュニティーの社会的向上を目的とした海賊放送のトーク番組)の覚醒的なサウンドでさえもがそこでは流れていた。僕の父親は家の中にスタジオを設けていて、僕はとても幼い頃から家を行き来するたくさんの変わったミュージシャンたちに囲まれて育った。彼は小規模なレーベル(Groove A Tron)を立ち上げ、僕の叔母のレコード(Dee Cape&Unity Rockers Band)をプロデュースしたりしていた。僕の叔父と従兄弟はウエスト・ロンドンにサウンドシステムを所有していたし、叔父のDennis(Bovell)はUKの音楽に多大な影響を与え、トリニダード・トバコにいる僕のかなり年上の従兄弟Dr.Roy Capeは、その昔Kaiso Allstarsと共にコンペティションにおいて、カリブ海で1番のサックス奏者に選ばれたこともある。こんな感じで、音楽に携わるたくさんの人間にいつも囲まれていたよ。だからごく自然に僕は小さな頃からいつもドラムを演奏したいと思いながら育った。僕の家族はいつでも音楽を愛していたけど、僕の父親は僕がドラマーの道に進むことに反対していた。彼はそれをチャレンジとして十分だと見なしていなかったし、なにより彼がその後対処しなくてはならなくなる騒音のことを気にしていたのだろう‥。幾分か矛盾した状況ではあったけど、そんな事情もあって最終的に父親が持っていた古いAtari 1040stを使ってCubaseにプログラムをすることで僕の音楽制作キャリアが始まったんだ。とても良いスタートだったが、当時の僕はもっと何か手に触れられる感覚を欲していた。

2012年頃、君にRolandのMC-505を買うことを勧められたのを覚えているけど、何が君にMC505を選ばせたのだろう?

B:2011年まで早送りするけど、僕はRoland 606を探していて。それがとてもクールに見えた分、ちょっと限界みたいなものも同時に感じたんだ。完璧な楽曲を制作するのに必要なものが一台に全て詰まっているマシンを使いたかった。それで505が僕のアンテナに引っかかったんだけど、レビューは一通り悪いものばかりで。それが理由でもっと調べることにしたんだ。なにかしら見過ごされているものがあるかもしれないからさ。他の皆が使っているようなマシンは欲しくなかったし、僕が会った人は皆808や707のような、もっと人気があって高値のマシンに興味をそそられていたからね。だからこの機材にチャンスを与えようと思った。そして僕らはすぐに親友関係になれたよ!僕のプロダクションのほとんど全てで使っている。今でもたまに最初から最後まで505だけで制作することもあるくらいだ。

君は『Dogenzaka』という名前の曲を作ったけど、君と日本との関係は?

B:数ヶ月前に日本に移住した親友を追っかけて、2007年に日本に引っ越したんだ。最初は一年間だけの滞在で全国を旅したりして、短い期間で経験できること全てを経験しようと思っていたんだが、すぐに一年では足りないと気付いた。だから仕事を探してビザを三年に延長することにしたんだ。心の底から言えることだけど、自身の殻を破って日本に三年間も住んだ経験は自分の知らなかった僕自身のことをたくさん気づかせてくれたし、日本とそのとてもユニークな文化に深い愛情と尊敬の念を抱かせた。日本での生活は音楽的にだけでなく、一般的に物事を違う視点から見せてくれた。それは僕の視野を広げ、滞在している間ずっと何をするにもやる気を与えてくれた。多くの理由から僕にとってとても特別な場所なんだ。主にここで詳細に述べる必要もないほどの、とてもスピリチュアルな理由からだがね。

ここまでの君の音楽的な旅路について教えてくれないか?それから今どこに向かっているかについても。

B:僕の頭の中に何年もの間貯まっていたアイデアを放出するために音楽を作り始めたんだ。クラシックな音楽教育は全く受けていない。自分の音楽を作るにあたって特定のルールのようなものは何も無い。それよりも自分のクリエイションに影響を与える環境を作ることに重きを置いている。だから僕のスタジオスペースは僕にとって禅寺のようなものさ、ヴァンパイアは立ち入り禁止だ!僕が何か作る時、何が出来上がるかなんて最初は分からない。ただ出来上がるんだ。ドラムマシンをいくつかと、サンプラーにエフェクトペダルを持っていて、持っているもので演奏するだけだ。ルールなんてものは必要ない。日本からロンドンに帰国するとすぐにLord Tuskと再開して、ダルストンで行なわれた彼のパーティー〝Middle Earth〞でパフォーマンスした。その夜、Funkinevenや他の古くからの友人もそこには居て、Lord Tuskとの共作EPの企画が持ち上がったんだ。それが僕のApronとの関わりの始まりさ。それ以来2015年の2月に初のソロEPをリリースし、最近ではJMS KhosahやNCAなど友人のアーティストとセッションテープをリリースし始めている。

Brassfoot〞の由来は?

B:聖書からきている。なぜなら僕は彼で彼が僕自身だからさ‥。彼のイメージを作り上げ、その血統を受け継ぐことに専念している。

君の音楽はカルト映画のサントラみたいに聴こえることがあるんだけど、シネマへの愛はあるのかい?

B:シネマはほとんどの場合において僕のインスピレーションの源だ。知り合いでもない限り、出会ったこともない人の音楽はそこまで聴かない主義でさ。レコードをディグするよりも古いカルト映画をディグすることの方が断然多いね。ジャッロ、エクスプロイテーション、モンド、サイケデリック。アートワークやサントラから興味を持ったものは何でも見るようにしているよ。

君が嫌いなものは何?

B:俺が嫌いなのは、人々にとってその音楽を簡単に理解しやすくするためや購入意欲を湧かせる目的で、音楽を堅苦しいジャンルに当てはめなければならないという事実だ。そこに大きな業界が存在しているのも理解しているし、マーケティングに巨額の予算をつぎ込めるレコード会社に所属しているのも素晴らしいことだと思う。ただ、それは実際に行なわれているクリエイティブな過程に影を落とし、それ自体を実際の過程よりも、とても苦心に満ちた、普通の人には到底出来ることじゃないことのように見せてしまう。もしあなたが息をし、微笑み、笑い、泣くことが出来るのであれば、あなたは音楽を作ることだって出来る。それは純粋に表現方法の1つなんだ。僕の音楽は写真のようなもので、録音されたと同時に僕の心の中の一瞬や、僕の人生の瞬間を切り取る。ただそれだけのことなんだ。それが何か別のものになる時ってのは、作品を聴いた印象からリスナーがそれらの音楽を定義づけたときだけなのさ。

 

 

FUNKINEVEN INTERVIEW

 

Funkinevenはとても無口な男であり、インタビュー嫌いだ。今回も彼はインタビューを受けることに難色を示していたが、僕たちがここ数年で築き上げた関係のために答えてくれた。なぜ彼がインタビュー嫌いかというと、この世界中に広がる高速ネットワークの中で、Apronの内側の秘密を明らかにし吸血鬼たちが真似するのが嫌だからだ。世界中に散らばっているアーティストで恐ろしい共同体を構成する彼は、器の大きい本物の男だ。

どこ出身でどのような環境で育ちましたか?

F:ロンドン生まれウェスト・ロンドン育ち、ルーツはカリブ海のグレナダ、家は母子家庭。

どんなことがキッカケで音楽を始めた?

F:ダンスをやっていて、それから仲間たちとラップを始めたんだ、正直俺にMCの才能はなかった。だからビートを作ることならできると思って始めたら、すっかりはまってしまい、それ以来ずっとビートを作り続けている。14か15歳の頃だよ。その後大学に入ったけど、勉強がつまらなくて直ぐにやめたんだ。それからロンドンのシェパーズ・ブッシュで俺の家族が経営している床屋で働きながら、部屋を間借りして音楽を作っていた。何年か経ってEglo Recordsから初めて自分のレコードをリリースした時に、自身の行き詰まりや自分の音がみすぼらしく感じて、それ以降もっと本気で自分の音楽活動に取り組むようになったんだ。―その後Apron Recordsを立ち上げ、Eglo Recordsから活動場所を変えたけどどんなキッカケでそうなったの?Eglo RecordsのAlex Nutにホワイトレーベルのディスコバージョンをリリースしてみないかと相談したら、そんなに難しいことではないから自分でチャレンジしてみたらどうかという意見をもらった。Apronの誕生の瞬間さ。Kyle Hallにも音楽業界のアドバイスをもらった、彼はいつも俺を正しい道に導いてくれるんだ、彼の助けは本当に為になった。そこから俺たちの歴史が始まったんだ。

Apronというレーベル名の由来は?

F:まぁこれは俺とKyleの身内のジョークからきたんだ。良いシェフはいつもエプロンをしているだろ、俺たちもビートはもちろん、それ以外にも色々と料理するだろ、そういうことだよ。

Apron Recordsからレコードをリリースしているアーティストを簡単に表すと?

F:All genesis in their own right,Difference is happiness…すべての始まりは自分自身、違いとは幸せなこと。

Apronが始動してから今日に至るまでどのような思いで活動していますか?

F:終わらないエキサイティングな旅をしている感じ。以前に存在してないようなレーベルであり続け、様々なアーティストのレコードをリリースする、それこそApronである意味があると思っている。自然な成り行きに身を任せてきたけど、俺たちはすごくいい経験と進歩をしていると思う。

Apronはブラックミュージックを一貫してプッシュし続けている今では珍しいレーベルだけど、何か特別な理由は?

F:特に理由なし。特別人種に拘りもないけど、たまたま黒人アーティストや様々なバックグラウンドを持つアーティストが俺の周りにいて、彼らがApronの美学と共鳴しただけ。イギリス人やアメリカ人、アイルランド人、ユダヤ人、ドミニカ人など。俺たちは常にワールドワイドなのさ。

もしApronを車に例えるならどんな車だと思いますか?

F:ポルシェ550スパイダー。クラシックでありながら最新。

キャリアの中で一番忘れられないパーティーは?

F:たくさんありすぎて絞れない。でも世界中様々な国でプレイしてきたけど、日本は俺にとってベスト3に入るのは確かだよ。「ダンスミュージックにおいて世界はロンドンに注目している、その中でもApronに注目をしていると。」去年Kyle HallとJay Danielは話していた。なぜかというと、彼らみたいなことをしている人は他に誰もいないからだ。彼らが何をしているかって?それは自分でチェックしてくれ。

TEXT AND INTERVIEW BY TIKINI
TRANSLATED BY KAI SEMMEI,AYAKA SIHOZAKI,TY DEMURA