DUNE libartane

TARGET VIDEO 77

米国パンクシーンの経過を撮り続けた映像アーティスト集団

インターネットなんてもちろんなかった。雑誌なら『ミュージック・ライフ』、ラジオなら『ポップスベストテン』、そしてテレビなら『ベストヒット USA』くらいしか頼るものはなかった。しかもそこで手に入るのは、DURAN DURANとか、KAJAGOOGOOとか、WHAM!なんて英国モンばかり。確かに第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの全盛時だったとはいえ、当時の日本では米国の音楽シーン(特に米国のインディペンデントシーン)の情報は、まったくもってゲットできなかった。できたとしてもR.E.M.やら、10,000MANIACSやら、小汚くて野暮ったい人たちばかり。「アメリカってダッセー」なんて思いながら、THE SMITHS、BAUHAUS、THE CUREなんかを聴き、優越感に浸っていたのである。

しかし、それはある日突然やってきた。まだ輸入盤しか扱っていなかった外資系レコード店のビデオコーナー。動くモリッシーを探しに来たニキビ面たちは、まったく統一感のないジャケに包まれたいくつかのVHSに出会ってしまう。二重丸のあっけないロゴ。レーベル名はTARGET VIDEO。SEX PISTOLS、THE DAMNED、THE STRANGLERS。ああ、もちろん知ってる。こちとらパンクを通過して黒服着てるんだ。…ん? BLACK FLAG? FLIPPER? CRUCIFIX? 知ってるのはDEAD KENNEDYSしかないゾ。安っぽくて、怪しくて、ブートなのか、オフィシャルなのかもわからない。しかも、そんな如何わしさに満ち溢れたビデオは、店に行くたびにどんどん増えていた。そしてまんまと標的にされた精子臭いキッズたちは、明らかにR.E.M.ともVAN HALENとも違う、リアルな米国の現状をこのテープによって知ってしまう。「え? ハードコアって、モヒカンじゃなくていいのか! ネルシャツでいいのか! なにをやってもいいのか!!」

今でも誤解されているのだが、TARGET VIDEO(別名:TARGET VIDEO 77)は、音楽ビデオレーベルではない。確かに数え切れないほどのパンク~ハードコア~ニュー・ウェイヴ系バンドを収めたビデオ作品をリリースしていたが、本来の姿は、自身のスタジオを構えたサンフランシスコの映像制作チームである。自分たちでアーティストを撮影し、自分たちで編集。そして自分たちが企画したイベントで作品を上映。その延長にビデオパッケージがあっただけで、レーベルというよりも、バンドやアーティストに近い活動をしていた。主要メンバーは、大学で映像を学んでいたジョー・リース、ジル・ホフマン、そしてジャッキー・シャープの3人。1978年にサンフランシスコで行なわれたSEX PISTOLSのライブ撮影から、本格的に活動をスタートさせる。それはSEX PISTOLSのラストライブでもあった。

彼らがTARGET VIDEOを始めたのは、やはりパンクの存在があったからこそ。イギリス勢を中心とする海外のパンク~ニュー・ウェイヴ系バンドが、ツアーの一環としてサンフランシスコという地を組み込み始めたのをきっかけに、彼らはライブハウスにカメラを持ち込み、その模様を撮影し始める。更に、280坪もあるウェアハウスをオフィス兼スタジオにしていた彼らは、そのフロアにもステージをつくり、直接そこでオリジナル映像の撮影もしていた。ジャッキー・シャープは語る。
「当時は誰も映像をつくっていなかったし、MTVもなかったから、パンクロックが聴けるメディアは私たちの映像、クラブ、そしてインディー・ラジオ局だけでした。キーラジオ局では、JOURNEY、FLEETWOOD MAC、エルトン・ジョンとか、そんなのばかりが流れていましたね。でも実際のストリートでは、そんなロックンロールモデルは古臭くなりはじめ、BLONDIEとかDEVO辺りが注目されていたのです」

撮影からレコーディング、更にはパーティも可能な彼らのスタジオには、パンク系ファンジン『Damage』の編集部や宿泊部屋も完備。音楽、映画、ファンジン、コミックなどに関わる当時のクリエイティブな人間の溜まり場になった。更に、サンフランシスコというコンパクトな環境が、それぞれのコミュニケーションを強固なものとし、パンク以降のサンフランシスコ・カルチャーを築いていった。ロサンゼルスなら不可能であっただろう。「土地も安く、クラブもたくさんありました。ゲイコミュニティーも活気がありました。サンフランシスコ・アート・インスティテュート、カリフォルニア芸術大学など、アートスクール出身者が大勢いましたね。そんな土壌でTHE MUTANTSなど、たくさんのバンドが生まれ、街は磁石のように若者を惹きつけていったのです」

また、高性能ビデオカメラの登場がTARGET VIDEOの背中を後押しした。スーパー8mmフィルムや16mmフィルムで撮影していた時代は過ぎ去り、上書きが可能になったビデオに よって、フィルム代もかからなくなった。ビデオがアートの敷居を下げ、パンクがより身近になった瞬間でもあったのだ。そして彼らは作品を抱え、TARGET VIDEOツアーを開始。ヨーロッパに呼ばれるまでの存在となり、更にビデオリリースによって、その名は日本まで届くようになったのだ。

現在は、すでにリリースもストップさせ、気が向いたときにLA周辺で上映会をし、気が向いたときにブログをアップするくらい、のんびり活動しているTARGET VIDEOだが、今後はVICE JAPANが始めたSVODサービス『VICE PLUS』のなかで、彼らが持つ膨大なアーカイブ映像を順次公開していくという。「私たちのストーリーを広めるいい機会になるでしょう。でも個人的には、またツアーをやりたいですね。現在も私たちは、ミュージアムや劇場での上映を重視していますから」

TEXT BY HIDEKI KOBAYASHI