DUNE libartane

STEPHEN POWERS INTERVIEW

LOVE LETTER FROM STEPHEN POWERS

日本はどうですか、時差ボケなどは大丈夫ですか?

STEPHEN POWERS(以下S):まさにLost in Translationなんだ。東京に来るとエネルギーがチャージされ寝れなくなるけど、好きな街の一つだよ。だから個展『TODAY IS ALREADY TOMORROW』の開催と東京に来る機会を与えてくれて、Gallery TARGETにはとても感謝しているよ。

それではあなたのバックグラウンドを教えて下さい。

S:フィラデルフィアの西側の地区の生まれ。6人兄弟の5番目で、家族が沢山いるから賑やかだったよ。フィラデルフィアはNYより治安が悪いけど、小さな街がいっぱい集まっているようで、僕はその全てが好きなんだ。大人になってからフィラデルフィア出身ってことを誇りに思うようになったよ。フィラデルフィアは僕に色々与えてくれたんだ。NYや東京のようなアメージングなスタイルを持つ街に来ても、フィラデルフィアはずっと変わらず僕の帰る場所だよ。

どんなきっかけでアーティストになろうと思ったのですか?

S:コミックだったりグラフィティだったり、子供たちがハマることを一通りやってたね。3歳の頃から絵を描いていて、ロック・スターやスポーツ選手を描いたり、とにかく興味のあるものを絵に描いていたね。でも美大に入ったとき、ここは自分には違うと感じた。美大というところは自分が作りたくないものをどうやって作るかを習うにはいいと思うし、課題をどう終わらせるかってことを教えてくれる。〝ディレクションに沿って作業を進め、問題に突き当たったらどうやって解決するか〞といった具合にね。まるで実社会の練習みたいで、そういうのは習いたくなかったんだ。自分は技術的なこと、自分のスタイルをつくること、そしてどうやって楽しみ、愛を込めてモノを作るかということのほうに興味があった。

なぜNYに移ろうと思ったのですか?

S:1989年から『ON THE GO』っていうグラフィティとヒップホップの雑誌を作っていたんだ。フィラデルフィアには僕がアーティストとして生きていく上で必要なものが殆ど揃ってたんだけど、もっと自分の雑誌を良いものにしようと思って20年前の1994年8月にNYに移ったんだ。NYにオフィスがあればメディアとして認知されるし、マーケティングを調査して、雑誌として利益を出して、自分たちが自由に表現を出来るようにしたかったからね。だけどそれから2年ぐらいの間でNYにはEGO TRIP MAGAZINEやSTRESS MAGAZINEといった競争相手がいっぱい生まれ、みんなで同じ広告主をシェアするようになった。その後1997年くらいにVIBE MAGAZINEがグラフィティとヒップホップに特化したBLAZEって雑誌を作ったとき、僕にとっての雑誌作りは終わったんだ。僕たちは小さな雑誌社でドデカいものを作っているふりをしていたのに、大きな雑誌社が大金を使って小さくアンダーグラウンドな雑誌のふりをしていた。予期してたことだけどね。その時DUNEを見て、ああこういうのもアリだなって思った。それでVICEが出て来て、終了!ってね。

それでアーティストに移行しはじめたんですね?

S:そう。その頃からTodd JamesとかBarry McGeeとか周りの友達とつるんでいたら、自然とアーティスト活動が始まっていたんだ。1998年にToddと一緒にやったのが僕の初めての展覧会だね。14th STREETにあったスペースをギャラリーに改築して、フィラデルフィアに住んでいたAlex Bakerというキュレーターにコンタクトして『STREET MARKET』を一緒にやったんだ。フィラデルフィアで始まり、NYのDEITCH PROJECT、2000年の12月には東京に巡回したんだ。

あなたは壁にメッセージ性のある言葉を描きますが、どこからインスピレーションを受けるのですか?

S:人と話したり、人が話しているのを聞いたり、それと好きな音楽の詩とかからもあるよ。自分は絵を描くより文章を書く方が上手いと思っていたから、アートを作ろうと思ったとき、言葉を使うのが一番自分らしい方法だと感じたんだ。僕のメッセージが伝わり、ビジュアル的にも楽しんでもらえることが、僕にとって良いものが産み出せたってことなんだ。

ICY SIGNについて教えて下さい。

S:ICY SIGNは看板屋さ。看板が必要なときは、ウチの店に来てくれれば相談に乗るよ。他の店と違うところは、ICY SIGNで看板を作る際には僕たちが100%クリエイティブ・コントロールする自由と時間を許諾してもらうってこと。お金がなくて看板を作れない人たちと一緒に作りたいんだ。お金を持ってる人はアイディアもあるから、そのお金を受け取ったら彼らのアイディアにコントロールされなきゃいけない。

あなたは自由にものをつくれて、客はいい看板がもらえるというお互いにとっていい関係が成り立っているんですね。

S:そうなんだ。グラフィティをやっていた時から、その街や場所を汚そうと思ってペイントしているつもりはなくて、そこを面白く変えようと思ってやっていたんだ。毎日通る道をもっと面白くしたいなって思ってやってたんだ。ICY SIGNはその延長だよ。それとICY SIGNは看板だけじゃなくて、ファイン・アートを作ることにも力を入れてる。看板に描く筆の技術を、アート作品に取り入れているんだ。こういった技術を取り入れているアーティストは少ないけど、僕らはずっとあった伝統を引き継いでいるんだ。

20年間NYに居ると色々な街の変化を見たと思いますが、最近のNYはどうですか?

S:NYは400年間変わり続けている街だからね、1638年に住んでいた人にとっちゃ今のNYはありえない場所だろうし。良い方向に変わったことや場所もあれば、そうじゃないこともある。アートの役目はそれを良い方向に変えることだと思っているよ。NYは常に何かが起こっているから、自分で何かを起こさなくてもいい街なんだ。バスから降りていいパーティーに行ったらその夜は成功、それでおしまい。でも今は受け身ではなく自分からアクションを起こさなきゃいけないと思うし、そういう風に自分はNYでも生きていたいんだ。

東京で面白い場所は見つけられましたか?

S:東京は明らかな計画や意図に基づいて作られた場所が多いから、それだけですでに面白い。触られていないフリーなスペースが少ないから良いスポットを見つけたときは本当にスイートだよ。今回東京で一番大きな壁に描いたのは〞NOW IS FOREVER〞って言葉だね。実は東京に来る前にハワイに一週間いたんだ。ハワイでの僕は、自分の生きている場所や時間の半分は物理的にも感覚的にも自分の後ろにあって、もう半分は前にある…みたいな感じで、不思議な気分だった。過去と未来の間にある現在でピタリと止まっている状態だった。東京に来たらちょっとストレスは減ったけど、今度は未来にいるって感じたから、今は正常に戻している状態だね。そんなことを思っていたから、時間に関係なく、今現在いる瞬間は永遠に続く場合もあるだろうと思って。大きな希望と大きな恐怖の混ざりあい、そして長い歴史と変動の多い東京への言葉だなと思って決めたんだ。80年ぐらい前からある壁で、ブルー、グリーンやイエローをいっぱい使った。夏になったら苔が自然に生えてきてもっと鮮明なグリーンになると思う。ペイントは薄れていき、また変化が起きる。ペイントは永遠じゃないけど、言葉は永遠だからね。

あなたは街にメッセージを増やしてまわっているのですね。

S:基本的にはグラフィティと同じだよ。アートを作るようになってからはグラフィティはやめたけど。NYのストリートに描くのは楽しかったよ。31歳までやっていたよ、大人になれない成長しすぎた子供ってやつだね。自分にとってグラフィティはコミュニティーのメッセージを発する可能性を持つものだと思ってやってた。今自分がペイントするときもコミュニティーのマイクロフォン、スピーカー、サウンドシステムになってメッセージを発してる。ただ、グラフィティと違って自分の名前は出さないよ。大事なのは僕のことじゃなくて、その街のことだから。僕はペイントしてメッセージを描くことで関わっているだけで、壁を見る人たちがその作品の持ち主なんだよ。グラフィティはどこに所属しているとか、誰が描いたとか、そういったことを伝えるけど、僕が描く壁は見る人それぞれにとって違うものでいいんだ。東京でペイントした初日、小さな女の子が「ママ、あの人たち何してるの?」って母親に聞いていて、母親は「日本にとって素敵なことをしているのよ」って答えていたんだ。お金なんかじゃ得られないリッチなものをもらったよ!

最後の質問です。いつその髪型を始めたのですか?

S:いい質問だ、すごく重要なことだよ!僕はずっと髪型に困っていたんだ。横分けにしたりして色々やったけど、なかなか気に入る髪型に出会わなかったんだ。そんな時に僕の大好きなラップ・スターが出演している映画を見て、アイディアをもらった。それでアートスクールにいた1991年か1992年ごろかな、理容師をやってる友達に頼んでやってもらったんだ。ある日、道歩いていたら土木作業員に「見ろよ、バートン・フィンクがいるぜ」って言われて。その時ちょうどコーエン兄弟の『Barton Fink』の主人公のバートンが同じ髪型で、凄く恥ずかしい思いをして、その後10年間はスキンヘッドにしていたんだ(笑)。グラフィティをやめた1999年頃にまたこの髪型に戻して、それからずっとこの髪型だよ。後頭部のハゲもかくれるから、ほんといい髪型だよ(笑)!

INTERVIEW AND PORTRAIT BY KAZUMI ASAMURA HAYASHI
TRANSLATED BY TOMOKO OKAMOTO