DUNE libartane

PAUL SIMONON INTERVIEW

パンクはピュアでフレッシュだったけど、メジャーになってそれを失っちまったんだ

THE CLASHの名盤『LONDON CALLING』のカバーでベースをステージに叩きつけている男こそ、今回運よくインタビューが実現したポール・シムノンその人である。今やパンクの代名詞となったあの写真の青年も、今年の12月に還暦を迎える。目の前に現れた彼は今でもお洒落で、時折トレードマークであるすきっ歯スマイルを茶目っ気たっぷりに見せてくれた。多くを経験した瞳と、飾らない人柄、そして格好以上の色っぽさ、どうやらパンクで鳴らした尖りっぷりは一向に衰えていないようだ。東京の中心地・大手町の空に浮かぶ超近代的なアマン東京にて、ジャマイカ・コミュニティ出身者独特の柔和でゆっくりとしたノリを放つ彼に話を聞いた。

今回の来日のきっかけは何ですか?

PAUL SIMONON(以下、P):ルイ・ヴィトンのショーをサポートするためさ。キム・ジョーンズはうちらの仲間なんだ。だから俺は友人のサポートと彼の功績を祝福するために来たのさ。今回が3回目の来日だ。

幼少時代は何に興味がありましたか?

P:どのくらいの時の話だ?膝ぐらいの時はミルクだ(笑)。

もうちょっと後ですね。

P:う〜ん、その頃はビスケットだ。嘘だよ、ごめん(笑)。11歳か12歳の頃は、とにかくアーティストになることに興味があったんだ。学校の中じゃ、絵を描くのが誰よりも上手かったからな。それに有名なアーティストにPaulとかPabloとかPauloって俺と同じ名前が多いから、俺もそうなると思っていたよ。

パンクは一大ムーヴメントになりましたが、当事者のあなたはそのとき何を思っていましたか?

P:パンクがメジャーになりメインストリームになった時点で、パンクは持っていた元々の力を失った。以前はもっとピュアでフレッシュだったけど、メインストリームになってからそれを失っちまったんだ。だけどクラッシュは自分たちのルールで生きていたから、俺たちはやりたいことだけやってたんだ。それこそがパンクだ。レコード会社に色々命令されたり、他の誰かにとやかく言われたりしようとも、俺たちは自分たちのやりたいことをやっていたんだ。多くの他のバンドは、パンクがメインストリームになったことで結局レコード会社のいいなりになっちまったんだ。

あなたの出身はジャマイカ・コミュニティですが、それはあなたに影響を与えましたか?

P:もちろんだ。とても大きな影響だよ。ただOKとしか言えない。そこが俺の住んでいた場所で、他の場所がどう違うのかを知らなかったから。エキサイティングなところではあったよ。ただ他の場所で育ったことがないから、違いが分からない。俺に言えるのはただそれだけだ。それが自分にとって一番自然な答えさ。

クラッシュがロックの殿堂入りをしたとき、あなたが再結成での演奏を断ったと聞いています。何故ですか?

P:当時はジョーがまだ生きていて、この件についてミックも含めて最初三人で話したんだ。だけど俺は良いアイデアと思わなかった。何故かというと理由は二つ。まずはクラッシュとして長いこと活動していなかったから、当時のピュアな頃のイメージのままにしておきたかったということ。そしてもう一つは、ロックの殿堂は各座席のチケットが一枚数千ドルするような会場でやっているということだ。そんな場所でライブをしても、そんなに多くのファンは来れない。もしクラッシュがライブをするとしたら、こんなビジネス的なやり方ではなく、俺たちの本当のファンのためにやるべきだと思ったんだ。チケットが一枚二千ドルもするなんてありえない。普通の値段にするべきだ。だから反対したんだ。だけどジョーが亡くなった時は、難しかったな。本当はロックの殿堂に行きたくなかった。ただジョーやミックの家族をサポートするべき、と思って行ったんだ。でもやっぱり俺にとっては、ロックの殿堂みたいなものはどうでも良いんだよ。

今は画家としても活動されていますが、いかがですか?ミュージシャンとは違いますか?

P:完全に別物だよ。なぜなら絵画に関しては、完全に自分だけの世界だからだ。だから何かを描くたびに、それを見ては「これはダメだな」と思って捨てるんだ。そしてまたトライする。音楽を作っている時は、他の人たちも一緒にやってるから、アイデアが共有できるんだ。例えば自分が歌詞か何かを書いていて、ダメだなと思っても、誰かが「いや、それ良かったよ」って言ってくれる場合もあるんだ。つまり他の人たちと音楽を作っていると、作品に対してもっと客観的に見ることができる。

あなたの友人のキム・ジョーンズも違った形でクリエイティブな表現をしていますが、彼から影響を受けることはありますか?

P:もちろんだ、とても興味深い。彼は何人かで一つのチームとして活動していて、その中には今回一緒に来日したジュディ・ブレイムという、スタイリストをやっている俺の古くからの友人がいるんだ。それにもともとクラッシュのメンバーが着ていた洋服や舞台装飾など、ビジュアル面のディレクションは当時から俺の担当だったんだ。だからファッションとアートの結びつきは自分にとってはとても自然なことなんだ。キムやジュディが表現していることも、初期のパンクのアティテュードと同じように感じるよ。そして彼らはパンク以外からも影響受けていて、それをうまく表現しているよ。

TEXT AND INTERVIEW BY TSUNEHARU MAMIYA
PORTRAIT BY CHIKASHI SUZUKI
TRANSLATED BY TY DEMURA