DUNE libartane

LIVE THE ART BY JEFFREY DEITCH

現代アート界の巨人が歩んだ15年の軌跡を辿る

「コンセプトはとてもシンプルでした。単にギャラリーとしてオペレートしていくのではなく、70年代や80年代にMOMAやアメリカにある他の美術館が確立したような〝プロジェクトルーム〞をやっていこうというものでした。我々が意図していたのは、型通りに新しい作品を壁に掛けて見せるだけではなく、意欲的なアーティストに新しいプロジェクトを行わせることです。」―ジェフリー・ダイチ

 

昨年の秋に出版されたダイチプロジェクツの歴史を紐解く『Live the Art』。ジェフリー・ダイチの15年の軌跡を、各プロジェクトにまつわる自身の詳細な記憶を綴った文章と写真群によって、くまなくなぞることのできる本だ。個人のギャラリーが全てのプロジェクトを一つの本にまとめて発表するというのは珍しく、いかにもジェフリーらしいプロジェクトの一つである。一度ページをめくれば、そこには膨大なアーカイブが広がる。溢れんばかりのモノと人。その内容さながら、ダイチプロジェクツは画廊でありながらも〝ここにくれば必ず顔なじみに出会える〞国際的な文化交流の場であった。

 

「ジェフリー・ダイチが私に初めて電話をしてきたのは1995年のクリスマスのことでした。二週間後に控えた彼の新しいギャラリーのオープニングの為にね。私は、女性の表面を全てベージュのモノクロームで表現することに決めました。」―ヴァネッサ・ビークロフト

 

ギャラリーのオープニングは1996年1月11日、ヴァネッサ・ヴィークロフトのパフォーマンスによってその幕を開けた。パフォーマンスアートのプロジェクトをアーティストと共につくるというのは一見シンプルなようだが、実際はギャラリー側が時間と労力を惜しまず費やすことが必須条件となるアイディアである。彼女の個展『VB16PianoAMERICANO-BAIGE』はヨーガン・テラーの写真から着想を得た、ベージュ・モノクロームの衣装を女性に着せるパフォーマンスであった。そして、輝かしい幕開けは嵐と共にやってきた。オープニングの当日、モデルたちが到着する時間の天気予報は大雪の大荒れ。地下鉄や公共の交通手段はほぼ寸断され、ギャラリー前の通りも車が通れる状況ではない。しかし集合時間には20人のうち16人のモデルが現れ、心配されていた観客たちもがどうにかギャラリーに辿り着き、その夜ダイチプロジェクツは無事オープンした。お似合いのオープニングである。

 

「グランド通りはニューヨークでも素晴らしい通りの一つといえるでしょう。ソーホーからリトルイタリー、チャイナタウン、ローアーイーストサイドまでの地理的広がりの中心に位置しています。ニューヨーカーたちはきっとソーホーは巨大なショッピングモールだとあざ笑うでしょうが、ここは世界的に見ても歴史的に保護されている地域の一つだということに疑いはありません。それは、ストリートファッションとアートギャラリーにとって肥沃な土地だと例えることができるでしょう。」―ジェフリー・ダイチ

 

彼の言うとおり、この場所はダウンタウンの中心地であり、人種とあらゆるコミュニティーの坩堝であった。その伝統的な価値を持つ地盤に引き寄せられる数多の文化的コミュニケーションを通じて、このギャラリーがアートの歴史において極めて重要な場所の一つだとしても過言ではないだろう。ダイチプロジェクツの最大の魅力はパフォーマンスアート、ロックコンサート、キャバレー、テレビ番組、ラジオショー、ファッション、デザイン、本の出版など、アートを一つのカルチャームーブメントとして包括的にとらえ、それを全てのプロジェクトに投影した点にある。

 

「自分自身がアート界のインサイダーだったのに、ストリートアート、スケートボーダー、サーファーやアンダーグラウンドの音楽をクリエイトする集団が、新しい時代を創り始めていることに気がついていませんでした。ニューヨークの地価高騰で若いアーティスト達が苦難の時を迎えている頃、サンフランシスコ、プロヴィデンス、フィラデルフィアなどの地方都市のコミュニティーが繁栄していきました。バンドがヴァンに乗り各都市をツアーする際に、ポスターやビデオ、ZINE等を通じてビジュアルが都市から都市へとコミュニケーション手段として伝播していったのです。」―ジェフリー・ダイチ

 

1999年、ジェフリーはバリー・マッギーの個展『The Buddy System』を通じ、マーガレッド・キルガレン、クリス・ヨハンソン、オス・ジェメオス等と出会うのだった。この個展には数千人のスケーター、グラフィティライター、サーファー、バンジョープレイヤーが訪れることとなった。夜中のうちにバリーとその仲間が集まり、新しい作品が生まれてゆく。毎朝ジェフリーが訪れる度に仕上がってゆく作品は、彼に新鮮な驚きを齎したことであろう。この経験を通じ、それまで彼が知っていた〝ただアートを眺める観客〞以外に、プログレスを楽しむ新しいライブオーディアンスがいることに着目することとなる。

 

ジェフリーは新しいアーティストを発掘する嗅覚が鋭い。そして、街やコミュニティーへの興味や愛情をたっぷり持っている人物だ。彼はハーバード大学院にて経営学修士の学位を取り、その後シティーバンクにて芸術顧問とアートファイナンス部門の開発を担当。そこでの共同経営者としてのキャリアを持つ。ビジネスマンとしての彼の手腕は、その功績によって既にお分かりだろう。そんな彼は大学時代よりアンディー・ウォーホルを愛し、カルチャーを創造するウォーホルに魅力を感じていた。アートコミュニティから発せられる屈強なパワーは一つの完成された絵画よりにも劣らない価値になるということを、ジェフリーは理解していたに違いない。

 

印象的なプロジェクトの一つとして、ダイチプロジェクツとペーパーマガジンによる〝アートパレード〞というプロジェクトが挙げられる。アーティストによるアート行列がウェストブロードウェイを練り歩く、というものだ。何も生産性もないこのお祭りのためにジェフリーは巨額な予算を投じ、コミュニティーは真剣にこのばか騒ぎを楽しんだ。2006年のパレードでアーティストのピア・ダンが出展したのは『I Want to Ride My Bicycle』。クイーンの名曲Bicycle Raceのポスターイメージへのオマージュとして、このプロジェクトのためにダウンタウンの女子部が60名ほど駆り出された。ヌードは法律上まずいということで全身肌色のストッキングに身を包み、自転車に乗ってウェストブロードウェイを走り続けた。興奮気味にパレードの終点を通過し、最後はそのままブロードウェイとキャナル通りの交差点に飛び出した。街を行く人の喝采を浴び、一生忘れられない実に愉快な一日であった。

 

 

2007年のある日、ダッシュ・スノーとダン・コーヘンによる『Nest』をダイチプロジェクツでやることになった、とダッシュから聞いた。ネストとはその昔、彼がダンと悪ふざけにモーテルで電話帳をビリビリに破き部屋を埋め尽くして、それをポラドイドで撮影したというあのプロジェクトだ。ニューヨークで新しく芽吹いたダウンタウンのアートカルチャーにおいて、大きな変革をもたらした象徴的な個展であった。『Nest』では、何十人という仲間が昼夜を問わずに電話帳を破りまくり、やっとの思いで部屋を埋め尽くしたという。残念ながらその2年後の夏にはダッシュは亡くなってしまったが、ジェフリーはダッシュの葬式を、彼の死を惜しむコミュニティーのために執り行った。

 

人が殺到し黒山の人だかりが道を塞ぎ、そのせいで警察が出動する騒ぎが何度ダイチプロジェクツであっただろうか?その過激な写真の内容に絶えられず、スタッフが逃げ出してしまう程だったというテリー・リチャードソンの『TERRYWORLD』展でもファンが殺到し、もれなく警察がシャットダウンするといういつものオチまでついていた。

 

ここまで読むと、場末のライブハウスにたむろするパンクキッズを追い返す強面のオーナーを想像するが、そうではない。ダイチプロジェクツは真っ白い空間の現代的なギャラリーであり、ジェフリーはいつもぱりっとしたスーツを纏うジェントルマンなのである。彼がネクタイを外しラフな姿で人前に登場したところを、私は見たことが無い。

 

ロサンゼルス現代美術館の史上最大の来館数を誇る『Art In The Street』展は、ジェフリー・ダイチがLAのコミュニティーとシェアした最大の偉業であった。館長となった彼は『Art In The Street』展など様々な素晴らしい展覧会を企画した後、わずか3年という短い期間でその立場を退いた。彼に対する批判的な意見や記事は多数あったが、それらの意見は私には一切関係が無い。なぜなら最終日に来館したときの、長蛇の列を成していたキッズの期待と喜びに満ちた表情を私は忘れることが出来ないからである。

 

1年ぶりに訪ねたソーホーにある彼のオフィス。グランド通りにある2階建て建物は健在で、現在はスザンヌ・ガイズカンパニーというギャラリーになり、そこに彼のオフィスはある。以前ウースター通りにあった巨大なギャラリースペースはスイス・インスティチュート・コンテンポラリー・アートに貸し出しており、そこにダイチプロジェクツはもう無い。オフィスに着くと彼は電話でスティーブン・パワーズに「このプロジェクトには、君が必要なんだよ」と興奮気味に伝えていた。そうしてニューヨークに舞い戻って次なる動きを模索している彼が、新しいプロジェクトについて語ってくれた。

 

「私は70年代から、アートプロジェクトをコニーアイランドで行うことを夢見ていたのです。この場所は伝統的にストリートアートが存在しやすい、最適な場所といえるでしょうね。地下鉄のターミナルに鉄道のヤードなど、コニーアイランドでは最高のストリートアーティストたちが常に活動していましたからね。近年ではドリームランド・アーティストクラブというプロジェクトは、スティーブン・パワーズなどのアーティストが店やカーニバルのアトラクションのために、作品として街の看板を描くというプロジェクトがありましたよね。今回のプロジェクトのために、いくつかの世代の違うアーティストを選出しました。ワイルドスタイルの時代からはリー・キュノス、クラッシュ、デイズ・アンド・レディーピンク、そしてロサンゼルスの象徴であるミスター・カートゥーン。外国人枠は、オス・ジェメオス。そしてエキサイティングな新しい世代からはシェリオ、タリアーナ・ファズラリザダなどです。25人のアーティストの要望やスケジュールを調整することは大変なことですが、私はこのプロジェクトをやることにとてもエキサイティングしています。」

 

夏のニューヨークは軽快で、訪れる全ての人に楽しみを与えてくれる。コニーアイランドの町中に現れるアートプロジェクトは、間違いなく今年一番のイベントとなることであろう。

TEXT AND INTERVIEW BY KAZUMI ASAMURA HAYASHI

copyright © 2014 by Jeffrey Deitch