DUNE libartane

KOJI ENOKURA

事物のありよう。それのみを追い続けた美術家

「50年も経てばどんな写真も名作になる」 そう喝破したのは、アラーキーこと荒木経惟だった。時間が積み重なって一定量に達すると、画面にはノスタルジーが備わって、観る側にとっての懐かしい記憶が喚起される。それで誰しも、古い写真に感情を揺さぶられるというわけだ。取るに足らない個人の記録や記憶が、普遍性を宿す。すなわち歴史が生まれるのに必要な時間というのは、おおよそ半世紀なのかもしれない。となると、現在を生きる私たちにとっては、1970年前後が〝最新の歴史〞である。生まれ出たばかりの歴史的時代のことをもっと知りたい、その頃の空気を味わってみたいと考えたとき、最良の案内人になってくれるのは誰か。美術家・榎倉康二とその作品に目を向ければ、間違いはない。1960年代後半に美術家として立ち、95年に52歳で急逝するまで旺盛な活動を続けた榎倉が追求していたことは、作品の様態はさまざまに変化したとはいえ、常に一貫している。人間は事物とどう対峙し得るか。その一点である。榎倉の問題意識はこうだ。日本は今や物質的豊かさを手に入れ、メディアも大いに発達した(現在から1970年前後を眺めればまだまだ牧歌的に見えるかもしれないが、戦後の荒廃から短期間で成し遂げられた復興は〝奇跡〞と呼べるほど驚異的だったのだ)。ただし、失いかけているものもある。発展と引き換えに、生きる手応えのようなものが、日常から得られなくなってしまったのではないか。ここは自分の存在を、もう一度しかと確かめる必要がある。そのためには人間が、自分以外の事物と直接に対峙し、関係を結ぶことをしなければいけない。そのプロセスを、改めて見つめなければ。そうしてこそ、生の実感は取り戻せるのだ!そんな考えを、榎倉は数々の作品を通して示そうとした。『第10回日本国際美術展人間と物質』では、油を染み込ませた藁半紙を積み上げるインスタレーション『場』をつくった。周囲を侵食する油のシミは、事物と事物のぶつかり合う現場を可視化してくれる。神奈川県戸塚の野外で開かれたグループ展『スペース戸塚‘70』では、掘り返した土を湿らせてビニールシート上に置いたり、コンクリート壁に油を塗った。まずは人間の側が空間とじっくり対峙して、その後に土やコンクリートに人為を加えて、質感に変更を加える試みだった。1971年には『第7回パリ青年 ビエンナーレ』に参加し、松の樹の間に突如として現れる壁を築いた。翌年の『今日の作家展』では写真作品を発表。「カメラの機構は、自己のいやらしい感情のふくらみから救ってくれると」自ら述べているように、人間の感情を通さずに空間と事物の無機物同士が幸せそうに交歓する様子を写真に収めたのだった。人間が直接、事物と対峙すること。または事物同士がせめぎ合うこと。その絶えざる緊張感を、榎蔵は〝接触〞という言葉によって説明することもままあった。いわく、あらゆる事物は、他の事物と接触することによって成り立っている。たとえば一個の机は床と接触し、上に置かれた本と接触し、さらには取り巻く空間と接触しながら存在している。ある事物は、他の事物と接する部分に着目してこそ、リアリティを持って存在しはじめる。そんな視座を、榎倉は崩すことがなかった。1980年代に展開された『Figure』シリーズは、榎倉を捉えて離さなかった接触の問題がはっきりと示された作品である。大きな布に、アクリル塗料で黒色と白色が塗り込められている。布の上で白と黒が出会い接触して、互いを侵し合う。接点の存在と、そこで起きている大いなるドラマを、強く意識させられるものだ。わたしたちだって日常で、無数の風景や事物を見ているのはたしかだけれど、それらとどれほど対峙し、真剣に関係を結ぼうとしているか。なんとなくのイメージを抱いてやり過ごしたり、事物を名付けたり分類することですべてわかった気になっているのが大半だ。ましてや現在を生きるわたしたちは、ヴァーチャルな世界に身の置き所を移しつつあって、向き合う相手といえばモニター画面ばかり。事物と向き合う機会なんてとうに失くしている。居心地は抜群だけど、いつも頭の片隅に漠たる不安を感じるのは、事物と対峙し関係しようとしないことからくる手応えのなさ。それが大きな要因なんじゃないか。半世紀前に榎倉が唱えた問題意識を、わたしたちは完全に共有しているのだ。〝最新の歴史〞に位置する榎倉康二の作品と思想は、今こそ摂取し味わい尽くす必要がある。

TEXT BY HIROYASU YAMAUCHI