DUNE libartane

JUNE LEAF INTERVIEW

美しさを鍛え上げ、未来を切り拓く

数々のドラマを迎えながらも絶妙に平穏が保たれたジューン・リーフの人生は、まるで映画のようだ。アートやカルチャーがモダニズムからポストモダンへと移行し、10年ほど前に女性がはじめて選挙権を得たことでフェミニズムが進化をとげるタイミングであった1929年、リーフはシカゴで生まれた。彼女は3歳のとき、母親がミシンで裁縫している姿を見て、自分がアーティストになると感じたという。産業化時代の女性を表すかのようなミシンのペダルとその構造は、リーフの作品によく登場するモチーフとなっている。

彼女はモホリ=ナジ・ラースローが開設したニュー・バウハウス(シカゴ)へ、18歳の時に入学した。同窓では数少ない女生徒の一人だったが、そのわずか3ヶ月後にパリへと移住する。その地で彼女は、当時影響力のあったアーティスト集団のサポートによって、以前ピカソが使用していたスタジオで制作をはじめる。この頃のリーフの作品は、銀幕のモンタージュを思わせる。自立していて、才能豊かで、若さに溢れたアメリカ人女性アーティストのリーフは、業界の古い慣わしやプレッシャーと、新しい都市で送る自由な生活が生む自身のクリエイティビティとの狭間に陥った。彼女はアーティストとしてどう歩むべきかわからなくなり、直ぐにシカゴへと戻る。その後ニュー・バウハウスにて教育学部の博士号を取得し、同じ過ちを繰り返さないようフルブライト奨学金を得て、再びパリへ渡った。

リーフはアーティストとして、そして教育者として、50年以上同じ道を歩み続けた。ジェームズ・アンソールから影響を受けた初期のグラフィカルなフィギュア、若干抽象的で型に捉われない表現力、自身の人生を反映するかのようなシンボルとの融合は、独自のスタイルとして今日の作品で表現されている。

彼女は5月にウィットニー美術館で『June Leaf:Thought Is Infinite,』を開催する。この型破りなルーキーは、86歳になってやっと美術史にその名を刻むのである。気持ちの良い春の一日、ブリーカー・ストリートにあるリーフ氏のスタジオで、現在制作中の鉄製の彫刻に囲まれながら話を聞くことができた。

ウィットニーでの個展おめでとうございます。準備でとても忙しいでしょう。

JUNE LEAF(以下JL):あまり考えないようにしているわ。キュレーターのカーター・フォスターがさっき来てドローイングを選んで行ったけれど、もともと自分が見せようと思ってた作品ではなかったの。だから今までとは違う展覧会になるだろうし、それは自分にとって大きなサプライズだわ。フォスターは良い方だから、信頼することにしたの。

彼からは、出展する作品に関してリクエストはなかったのですか?

JL:なにもなかったわ。私たちの関係は…フォスターが個展のアイディアを持って初めて私のスタジオに来たときに、彼を描いたの。“ようこそ私の世界へ”という意味でね。彼がマブーに来たときも描いたわ。ロバートと私は70年代から90年代まで、マブーの住民として暮らしていた。ニューヨークに戻ったあとも、一年の半分はマブーで過ごしたの。ここでの経験や隔離感は私にとって大きな衝撃で、自分が成長するのに大きく影響を及ぼしたわ。

マブーへ移ったのはあなたのアイディアですか?

JL:いいえ、違うわ。もちろんいいと思ったけれど。

その時すでにロバート・フランクと婚約していましたか?

JL:まだだった。でもその時お互い別居中だったから、マブーに引っ越すことは理にかなっていたのよ。

そのころのロバートは、ニューヨークの美術業界に幻滅していたと読みました。

JL:ええ、でもなぜ彼は幻滅していたのかしら? あの頃から彼は有名だったのに。不思議ね。

新しい環境に馴染むのは難しかったですか?

JL:私はシカゴという大都会で育ったから、ある意味怖さがあった。それはそれは不便だったけれど、なによりもそこで生活を営む人たちが素晴らしかったの。彼らは夏だけやってくる人たちや観光客には慣れていたけれど、冬の真っ只中、独身の中年女性がやってきたのよ。でも素敵なことに、自分が今までに出会ったことのない人たちである彼らという存在は、彼らにとっての私と同じなんだとすぐに気づいて、尊重しあいながらお互いの距離をつめていくことができたの。でも、移住するとまでは思ってもいなかったわ。ただ避暑地を探していただけだったのに。けれど今では、マブーに引っ越したことをとても誇りに思っているの。ロバートは仕事でとても遠い場所に行くことがあったから、私は家を改築しながら一人で多くの時間を過ごしたわ。初めにわたしがやったのは、近所の人と屋根を取り替えたこと。そのあとも、ずっと家のことをしていたわ。ロバートもできるときは手伝ってくれてね、わ たしのスタジオは2人で作ったのよ。いま思うと、私があまりに熱中してたから、ロバートはときどき私の頭をハンマーで叩きたくなってたんじゃないかしら。私ってそういう人なのよ。

マブーに移り住んでからのあなたの作品は、60年代の作品と比べてキャンバスへの書き込みが減ったように思います。自分でも変化を感じますか?

JL:ええ、全てを消したの。今はいろんな要素が混じり合っているけれど、ここに辿りつくまで長くかかったわ。少しづつ、少しづつ、身の回りにあるものを作品に注ぎ込んでいったの。1971年ごろかしら、いくつかのインスピレーションを受けたわ。唯一見かけた動物である黒い牛たち、水の流れ、遠くからきた漁師、そして先住民のミクマク族…そうしたものをすべてひっくるめて物語をつくり、ペインティングのシリーズになっていった。

あなたは自分のことを“トランポリンみたいな堅い巻きバネ”と説明してたけれど、スタジオに足を踏み入れたら、なんだかしっくりきました。

JL:誰が言っていたの?なんかうれしいわ。

1991年に、あなたがルーシー・リパードに言っていましたよ。あなたの『gun sculptures』のバネの構造を思い出しました。比喩としても、実際にも、あなたが生み出す作品の原動力なのですね。

JL:本当に私が言ったの…

かなり昔の話ですものね。

JL:いいえ、そんなに昔じゃないわ。私にとってみれば最近のことよ。今朝、小さなコーヒーを淹れて窓のそばに座り、歩く女性の姿を見たの。赤ちゃんを抱えていて、「ああ素敵、彼女を描かなきゃ!」と思ったの。そしてなぜ自分はこんなに朝から元気なのか、もっとリラックスすればいいのに、と自分に問いかけた。あなたがさっき言ったように、わたしの頭の中は巻きバネみたいな感じなのね。それはあまり嬉しいことではないわ。だって、もういい歳だからね。なんてことない今日の朝にわたしはそんなことに思い当たり、今度は自分が言ったことをさっぱり覚えてないなんて、笑っちゃうわね。

ルーシー・リパードとのやりとりはとても素晴らしかったです。自分の活動についてなにを覚えていてほしいかという問いに、「80歳になる頃には、鉄の骨で骸骨を作り終えているわ」とあなたは答えていました。

JL:やったのよ!実物大ではないけれど、確かにやり遂げたわ。

すべての彫刻は鉄やクランク、ばねの仕組みで作られているけれど、昔から機械への興味があったのですか?

JL:そうね。戦時中だから、11歳ぐらいだったかしら。多くの工場は国の防衛に役立つパーツをつくる工場へと変わったの。近所にそういう工場があってね。よく女友達と外に立って、職工たちとお喋りしたり鉄の匂いを嗅いだりしたわ。

匂いはあなたにとって大切なんですね。多くのインタビューで匂いについて話されています。

JL:それはそうね。フォスターが「このアーティストは好き?」と聞いたとしても、私は「アートは見ないで、身体に吸い込むの」と答えるの。匂いじゃないけれど、雰囲気を感じるってこと。そのほうが記憶に残ると思うの。

覚えているか分からないけれど、3歳のときにアーティストになると決めたという話を聞きました。

JL:そんなこと言ってた?あらそう…面白いわね。じつはね、最近いろんな人たちと自分の過去の作品について話をしているから、記憶についてよく考えるのよ。その昔、未来を見通せることで人々に畏れられ、馬から放り投げ出された御者がいてね。その人はのちに聖人となったんだけど、彼をモチーフに描かれた昔の名作があるの。その絵が、わたしの『Astonished』というペインティングに描かれている人物を思い起こさせるみたい。とにかく話に戻ると、子供のときわたしは見えない何かを感じていたのよ。それが一体なんなのかはキャロル、ミステリーとしか言えないわ。

ニュー・ブッシュウィック・スクールの講義で、「もうアートをつくる情熱はないけれど、日々の積み重ねが自分を動かしている」と言っていました。現在はどうですか?

JL:ロバートもわたしも歳をとったわ。彼はわたしより年上で、よく歳をとったなという話をする。でも私はしないわ。私たちの人生を見つめて、そして 作品をつくるの。作品をつくることが好きなのよ。

彫刻をつくる過程を過去と比べていたけれど、近年の作品『Woman Drawing a Man』では様々なものを取り入れ、まるでペインティング、ドローイング、彫刻をひとつに集約したかのようでした。意識してこうなったのですか?

JL:ペインティングはとても難しいものね。細心の注意が必要。『Woman Drawing a Man』 はもともと、女性が男性を洗っているところから始めたの。長く一緒に生きて、様々な障害を乗り越えて家族として成熟していくのは素敵なことだし、こんなチャンスを与えられることはとても素晴らしいことだわ。

TEXT AND INTERVIEW BY CAROL LEE
TRANSLATED BY TOMOKO OKAMOTO
PORTRAIT BY a-chan