DUNE libartane

JULIANA HUXTABLE INTERVIEW

フェミニストの追求

2015年のニューミュージアム・トリエンナーレで彼女の素晴らしく刺激的なイメージが私たちを虜にして以来、神秘主義、未来主義、嘘偽りのない知性への追求、そしてクラブキッズの現実主義を混ぜ合わせたジュリアナ・ハクスタブルの秘密の調合に、現実とソーシャルメディア上で多くの人々が釘付けとなっている。メディアが発達した現代ではイメージはすぐ生まれ、そして永続的に残っていく。ハクスタブルがモデルとなったキラキラ輝くしなやかな3Dレンダリング“an intersex being”は、彼女の友達でアーティストであるフランク・ベンソンによって制作された。それはまるでビルの谷間でユニコーンに遭遇したかのように、観客の目を釘付けにした。両性具有のオダリスク調のこの彫刻は、ルーブルにあるベルニーニの『眠れるヘルマプロディートス』からインスパイアを受けている。今までの現代アートにおいて両性具有についてこのように美しく勇敢に表現された作品はなく、それは衝撃的なことだった。またそれは、技術的な意味合いにおいても斬新な作品だった。しかし彼女がモデルとなったこのフランク・ベンソンの作品に対する抗議の火の粉は、同じギャラリーに展示されていたハクスタブルがヌワビアンの王女に扮したセルフポートレートの作品にもふりかかり、結果として彼女は知らぬ間にトランスジェンダーのシンボル、表面的なトランス・アーティストとして祭り上げられることとなった。ただし、その一連の出来事によって彼女が祝福されている光景を母親が目にすることができ、結果として彼女は自分の親に受け入れられることになったのは喜ばしいことだ。そしてそれは、彼女自身の次のステップへのきっかけとなった。
現在29歳のジュリアナ・ハクスタブルは、テキサス州の信仰深いブライアン・カレッジ・ステーションで育った。父親はA&M大学の教授で、ハクスタブルは教養あるバプテスト派の家庭で男性として育てられた。彼女にとって宗教的な教えは、幼少の頃から大きなストレスとなる。パソコンを通してのリサーチや身体的兆候から自分が両性であることを知るが、家族や団体など実際に彼女をサポートしてくれる場所を見つけることができなかった。その後、自由な校風で知られるバード大学に通うため、ニューヨークのアップステイトへ移住。卒業後はアメリカ自由人権協会で弁護士の助手として働く。その頃から彼女は、人気テレビ番組”The Cosby Show”の主役家族の名前からハクスタブルと名乗り、DJやパーティー・オーガナイザー、アーティストとしてニューヨークのナイトシーンで有名になっていった。2015年の華やかなデビュー以降、MoMaとのコラボレーションによるパフォーマンス、DKNYのモデル、そしてDJや展覧会のために世界中を飛び回る忙しい生活が始まった。また彼女は作曲もしており、彼女のパーティー・ミックスはSoundCloudでも手に入る。何よりもソーシャルメディアにおける彼女の存在感はとてつもなく大きい。彼女のInstagramをフォローするとどれだけ彼女がこの世界を制覇して楽しんでいるのかが分かる。
ジュリアナと私はある冬の午後、彼女が友達とシェアするブッシュウィックにあるスタジオで長話をした。彼女は背が高く、長い髪は編み込まれていた。スカートにプラットフォーム・シューズを履いた彼女ととてもオープンで率直な会話を交わした。

あなたをInstagramでフォローしているから、どれだけ忙しいか知っています。あなたの国際的な活動について詳しく教えて下さい。海外にはアーティストとして行っているの? それとも活動家として?

JULIANA HUXTABLE(以下J):2、3年前はまだ無名のDJとして海外に行っていたの。でも2015年以降から状況は変わっていった。2016年にはMoMAでやったパフォーマンスをグラスゴーと中国で披露したわ。中国ではレジデンスがあったから2つのパフォーマンスと小さな個展、あとDJをしたの。だから色々なもののミックスね。2016年はほとんどアートのためだったわ。

中国ではどう受け止められたの?

J:熱心に受け入れてくれたわ。アメリカでは政治的メッセージの入った作品を作ったら、いい作品でもみんなしらけるでしょう。でも北京では様々な角度から理解しようとしてくれて、こういった会話が起きていることを楽しんでいたと思うの。とてもクールだったわ。みんな私が何を作ろうとしているのか、何を考えているのか、何故つくっているのか興味津々だった。“シーン”という言葉は使いたくないけど、若くて、アクティブでクリエイティブなシーンがあって、何かが起こる寸前の勢いと雰囲気を感じたわ。

私は韓国出身だからどのアジア諸国より中国の今に興味があるの。今はパンクロックが流行っているそうよ。西洋で作られたジャンルが定着するのは面白いと思います。あなたが言っていたエナジーは似たようなものなのかしら?

J:私もそんな風に感じたのよ。小難しい仕事をしている人は普段自己紹介の時に何かを覆い隠すから、ある人がストレートに「私はフェミニストの活動家です」と言ったときは珍しく感じたわ。一人のパフォーマンス・アーティストと話して、彼女は私が作っていた父親との関係についての作品を使ったの。彼女とは自分のパフォーマンスと自分の恥について話をしたわ。彼女は“公共の場で女性としてすべきではないこと”を劇風にBDSMみたいなパフォーマンスで表現するの。お互い率直に意見を言えたからとても良かったわ。どこかに行き、いきなり深くオープンな会話を交わすシチュエーションに出会うことは滅多にないから、アートを作れることは素晴らしいと思ったの。その頃ちょうど父親のことが色々な意味で嫌いだったの、今は違うけど。

いま父親の話がでたけど、あなたにとって父親から受けた影響は?

J:Heavy Metal Magazineよ。

本当?

J:ええ。父親はヘビメタが大好きで、私にとってHeavy Metal Magazineは典型的な男性像の象徴よ。自分自身をオタクだと分類する人がいることと同様に、典型的な男らしさを追い求める人もいる。そしてそれを追い続けると“ポルノは見ないけど、Heavy Metal Magazineは読む”みたいになってしまうの。そこにあるのは、肌を露出した女性が不思議なパワーを持つ支配者となっている不思議な世界観なの。だからHeavy Metal Magazineは好きだし、女性の描写も好き。ただそれが男性自身の刺激や恐怖を解決するために作りだしたことに、大人になってから気がついたの。育っていく中で、こういうものを通して女らしさや女性の描写とか、どんな意味を持っていたのかを探っていたの。父親との距離を近くしてくれたし、感謝してる。もちろん紹介してくれた父親にも感謝しているわ。

あなたの父親は黒人よね?

J:ええ。

育った街からしても珍しいわよね。

J:ええ、だから母は嫌がっていたわ。母は典型的な南部のバプテスト派の黒人女性で、個性的だけど技術系の仕事をしていて、いわゆる文化的、道徳的、宗教的、性的にいわゆる”普通”だったの。だから彼女は嫌っていたわ。彼女にとってヘビメタは悪魔的で、悪魔のポルノ、キリスト反対者、問題ある変なものだった。黒人が好きになるものではないってね。母は「理解ができないし嫌い」と言ってた。でも私は心奪われたの。父はクレイジーだからあまり話さなかったけれど、受けた影響が大きいのは確かね。

文化的にあなたの父親の方が母親よりリベラルだったの?

J:えーっと、うん、そんな時もあったわ。性別に関しては厳しかったわ。

お父さんは今も困惑している?

J:もう大丈夫よ。家族は一周して収まった感じ。家族は私が何なのか分からず困惑していたの。今までなかったことだから、対処の方法を見つけられなかったのよ。その気持ちは不快でしょ。だから私を“男性”に括り付けようとした。でも私自身が男と感じたことがなかったの。でも今は、わたしは女性、ってことで家族内では落ち着いたの。

その問題はすっかり解決したってこと?

J:いま考えると不思議なんだけど… Vogueに出たら認めてくれた…みたいな。MoMAのことはあまり家族にとって意味がなかったの、分かる?

フランク・ベンソンが作った有名な“Juliana”について話しを聞きたいです。あなたは彼のスタジオに行き、自分をこんな風に作って欲しいとアイディアを持ちかけたんでしょ? ヨガのムドラーの手印もあなたのアイディアだったんですよね?

J:彼がポーズを提案してくる以前から、セルフポートレートで使ってきたヌワビアンについて考えていたの。フランクはそのイメージを見て、このプロジェクトに合うかもと言っていたの。だから彼のスタジオに行ったときは既にアイディアがあったのよ。このポーズをするなら、体の動きや手の仕草が重要になってくる。と彼にも伝えたわ。だからバリエーションをつくり、結果手を使うのがヌワビアンの女王キャラにあっていると思ったのよ。フランクもいいねと言ってくれたわ。

その時にはフランクが『眠れるヘルマプロディートス』を参考にしたいことを知っていたの?

J:私は既にヘルマプロディートスに心を奪われていたの。このプロジェクトを了承した理由は、へルマプロディートスは西洋芸術史の中で数少ない両性具有の体を持つ存在だったからよ。それにフランクのことは良く知っていたし、彼がどのように自分を描き出すか信用していたから。

お母さんをオープニングに招待したと聞いたわ。

J:ええ、その時に母は本当の意味で私を理解してくれたわ。オープニングで大勢の人から私のことを聞き、真剣に受け止めている姿を見れたから。

あなた自身も初めて完成した作品を見たときだったのよね。

J:完成した作品を見てなかったから不思議だったわ。それにトリエンナーレの開催中、そして終わってから半年経って、何かに後悔をしたの。「これをやってよかったのか?」と。

なぜ?

J:怖かったのよ。この彫刻が毒になるんじゃないかって。自分の作品のイメージを上回ってしまうのでは、そして、ミューズが私を狂わせると。それは不思議な意味で、神への冒涜なのではと感じたの。「ここに存在していて良い。でも全てを理解できてないし、どうやって受け止めていいか分からない。自分が今見ているものを見続けたら、自分自身が潜在的に180度変わってしまう」とね。でも実際、その1年前からパフォーマンスをやっていて、彫刻のモデルになったことが鬱陶しく思っていたの。だからちょうど良かったわ。みんなに私はモデルでもミューズでもないと伝えたかったから。進むべき道だったのよね。

ポジティブな力に変換できてよかったわ。最後に、日本に来る予定はあるの?

J:韓国に5月に行く予定で、そのときには日本にも行くわ。

TEXT AND INTERVIEW BY CAROL LEE
TRANSLATED BY TOMOKO OKAMOTO