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JESSE EDWARDS INTERVIEW

葛藤や失敗もある、それらも自分の作品に取り入れているよ

アメリカはアイダホ州ハイデン・レイクに生まれたジェシー・エドワーズ。油彩画家、グラフィティ・アーティスト、陶芸家といった顔を持つ彼は現在、シアトルとニュー ヨークを活動の拠点としている。ジェシーのアートは、ワシントン州スノーホーミシュで過ごした青年期のグラフィティからはじまった。1999年コーニッシュ・カレッジ・オブ・ザ・アートに奨学金を得て入学したものの、教授を罵倒したことで退学している。その後10年間にわたるシアトルの公営住宅での日々を、展覧会を開催したり、チャールズ・クラフトから陶芸を教わったりしながら過ごした。2010年にニューヨークに移ると、ザ・ホール・ギャラリーやヴィト・シュナベルなどで数々のグループ展や個展を開催している。今回はシアトルからニューヨークへ移動した現在のジェシーの活動に追った。

あなたが作るペインティングやセラミックに、自身の幼少期の経験は影響を及ぼしていると思いますか?

JESSE EDWARDS(以下、J):アイダホ州ハイデン・レイクで育った。そこでの日々は、作品にあまり影響を及ぼしていないと思う。潜在的にはあるかもね。母はいつもペインティングしたり、アートプロジェクトをつくったりしていて、凄いなと感じていた。これが幼少期に受けた一番の影響かな。十代から今までの経験が、作品に良い影響を与えていると思う。13か14 歳になるまでアートは作らなかった。グラフィティから始め、油彩、そして陶芸と経て今に至っている よ。

ここ5年間に色んなことがあったみたいだけど?

J:5年前はシアトルの公営住宅に住んでいたよ。棟の名前は〝ザ・ジュリー〞。引っ越したときは凄くいい場所だと思ってたんだ。その前は〝ジョセフィニウム〞という名前の棟に住んでいたんだけど、隣人の音楽の音がうるさくてケンカになって部屋を移ることになった。そいつは10年分ぐらいの社会保険給付金を貰い、その金でドでかいサウンド・システムを買ったんだ。毎朝そいつがかけるプロジェクト・パットや50セントで起こされて、たまったもんじゃなかった。サウンド・システムを買う前まではいい人だったのに。3年後に〝ザ・ジュリー〞を出てニューヨークに移ったんだ。

アーティストとして、ニューヨークからはどんな影響を受けたのですか?

J:僕はいつも過去の自分の作品を再解釈することから影響を受けるんだ。最近描いたペインティングはそう。シアトルではクリスピー・クリーム・ドーナッツの箱の静物画を描いていた。ニューヨークにはクリスピー・クリーム・ドーナッツのかわりにダンキン・ドーナッツがある。だから主題を自分のいる環境に合わせて変える。あとは、グラフィティから影響を受けているよ。グラフィティをやっていなかったら、今知っているアー ト業界の人を知らなかったしね。

印象派の画風や陶器のスマートフォンなどに現代的な要素を入れた作品がありますが。作品には社会に伝えたいことを織り込んでいますか?

J:自分の作品からメッセージを発信しようと思うことはある。でも殆どの作品は、自分のアイディアが象徴的に表れたんだと思っている。”House of Cards”(トランプで作った家)は僕にとって大きな意味があるんだ。トランプで作った家を描く、その後トランプで作った小屋とそれぞれのキングの城を描く。そして崩れたトランプの家を描く、とかね。こうやってシリーズを作っているんだ。ベージックなコンセプトで、題材を探索し尽くすまで作り続ける。もっと単純な作品もあるけどね。例えば、マスターベーションがテーマの作品。誰もがマスターベーションはするからね。自分は自分が楽しくなるために作品を作っていると思う。でも、いつも楽しくはないんだけどね。葛藤や失敗もある。でもそれらも自分の作品に取り入れるようにしているよ。

TEXT AND INTERVIEW BY EDDIE GOLDBLATT
TRANSLATED BY TOMOKO OKAMOTO