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JAN FABRE INTERVIEW

『Tribute to Hieronymus Bosch in Congo(2011-2013)』

エスパス ルイ・ヴィトン東京にて7月9日以来、約2ヶ月に渡り開催されたヤン・ファーブルのエキシビジョン『Tribute to Hieronymus Bosch in Congo(2011-2013)』が先月末、幕を閉じた。「美、のみを追求するのであれば、それは厚化粧となんら変わりありません。果たして、それがアートなのでしょうか。美、倫理の両者を追求してこそ、アートになるのです」と彼が強調するように、彼の作品が陽光に照らされて放つ美しい輝きと、コンゴ・ベルギー両国が織りなしてきた歴史の重みで、エスパスルイ・ヴィトン東京は、会期中、今までにない様相を呈していた。このエキシビジョンは、ベルギー王室の依頼により制作された『Heaven of Delight(ヘブン・オブ・ディライト)』(2002)に端を発し、2013年から14年にかけて、フランス、リールの宮殿美術館で『Tribute to Hieronymus Bosch in Congo(2011-2013)』として、2014年にはウクライナ、キエフのピンチュック・アートセンターで『Jan Fabre,Tribute to Belgian Congo(2011-2013)』『Jan Bosch Fabre,Tribute to Hyeronymus(2011-2013)』として開催され、今夏、エスパス ルイ・ヴィトン東京での開催に至った。

 

ヤン・ファーブルは、アート界に登場して以来、あらゆる表現方法を用い、未だにオーディエンスの度肝を抜く創作活動を最前線(アバンギャルド)で続けている。画家、彫刻家、劇作家、演出家、作家、その他。いくら活動が多岐に渡りろうとも中途半端なマルチ・アーティストに堕さず、ヤン・ファーブルがヤン・ファーブルたり続ける理由がある。

 

「私は、美の奴隷です。跪き、取り組むべき作品が私に何を要求しているのか、観じ取るよう努力します。その結果、文章を書くこともあれば、舞台で美しい女優や俳優に演じてもらうこともあります。時には、彫刻制作を、強く要求されたりもします。作品の内容、脈絡により、特定の表現手法が決まります」
「私の時計は、時を刻むのではなく歴史を教えてくれます。真のアバンギャルドとは伝統に根ざしていなければなりません」

 

美、倫理をアートに昇華させる稀代のアーティスト、ヤン・ファーブルにとって、『Heaven of Delight』とは何なのか。
「20世紀初頭から、王室は、ブリュッセルの王宮の天井を、アートで彩る予定でした。しかし、王家には、コンゴにおけるベルギーの植民地政策に対して罪悪感があったため、王宮の白い壁に絵が描かれることはありませんでした。しかし、パオラ王妃が着任すると、私にその依頼が舞い込みました。天井を埋めるのはモザイクのような作品で、一見すると、美しい作品、という印象でしょうが、よくよく見れば、植民地政策下のコンゴを描写していることがわかるでしょう。切り取られた女性の乳首や乳房、髑髏、抜き取られた象牙、動物の足、魚の屍体。遠くから見れば美しいのですが、近くで見ればそういったモチーフが描かれているのがわかるでしょう。現在を通して過去が垣間見える作品です。つまり、批判的に歴史を引用した作品なのです」コンゴとベルギーの関係は、19世紀末に始まる。それまでポルトガル領であった「コンゴ王国」は、ベルギー国王レオポルド2世の怪奇極まりない謎の啓蒙精神と国土拡大の欲望に飲み込まれ、国王の私有地として「コンゴ自由国」という国名で新たな歴史を歩み始めた。しかし、私有地だけに、「コンゴ自由国」は植民地以下の扱いを受けた。19世紀後半、西欧列強が繰り広げた植民地政策同様の悪辣さは当然のこと、それ以下の残虐行為をベルギー人はコンゴの民衆に対して繰り広げた。度が過ぎた劣悪極まりない統治は、植民地政策に勤しむ西欧列強諸国も眉をひそめるほどであったため、レオポルド2世の暴虐に対する国際的批判を懸念するベルギー政府は、1908年、「コンゴ自由国」を国王より買収し、「ベルギー領コンゴ」に改め、善政を敷くよう政治的努力を開始した。これにより、コンゴ民衆の状況は圧倒的に改善されたものの、レオポルド2世時代の悪弊が完全に無くなるはずもなく、1960年の独立まで、コンゴは植民地の立場に甘んじることになる。しかも、この、ベルギーとコンゴが織りなす歴史は、ヤン・ファーブルが『Heaven of Delight』に着手した21世紀になっても封じられていたそうだ。

 

「王妃から依頼を受け、制作し、『Heaven of Delight』が完成しますと、あらゆる方面から賞賛を受けました。その賞賛は、作品の美的側面だけに向けられていました。私が作品に描いたメッセージには誰も注目しませんでした。私が作品に含ませたメッセージにに対する評価、批判は全くありませんでした。しかし、それは15年前のことです。4、5年前から、ベルギー国内でも植民地政策に関する歴史的再検証が始まりましたから、それ以降、様々な事実が明るみに晒されました。それとともに、ベルギーの植民地政策に対する議論が公の場で繰り広げられるようにもなりました。そんな風潮のなかで、私の作品も議論のきっかけになっています。『Heaven of Delight』が持つ倫理的側面を伝えるためにも、作品の細部に焦点を合わせ、皆様にごらんいただけるよう『Tribute to Hieronymus Bosch in Congo(2011-2013)』として再現したのです。そこで取り上げたモチーフは、全て史実に基づいています」

 

美を追求するだけでは完成しない、ヤン・ファーブルのアートにとって、王宮の天井に『Heaven of Delight』を描くことは必然であったのかも知れない。アートが有すべき倫理的側面にも重きを置く彼にとって、歴史批判も倫理的歴史批判でなければ全く意味をなさない。それは、彼一人で対処すべき問題でなく、ベルギー全体が対処すべき問題だ。

 

「パオラ王妃は、非常に前向きに支持してくれました。フランドル出身のベルギー人芸術家がベルギー王室の依頼を受けた、という事実が、私の政治的態度の表明です。その態度は、極右反対、フランドル地方独立反対、というメッセージでもあります。複雑な話ですが、ベルギーは言語的に3つの地域に分断されています。フラマン語を使うフランドル地方、フランス語圏、ドイツ語圏の3つです。フランドル地方では、極右勢力が大きな影響力を持っています。特に極右団体が、王宮での作品制作に反対し、3年の長きに渡り抗議は続きました。そのおかげで、6ヶ月のあいだ危険に身を晒し、アントワープのなかで三回の転居を余儀なくされました。ドアにペンキを撒かれ、脅迫状も届きましたが、王妃による力強いサポートのおかげで、制作を続けることができました。王室のルールに反して、王妃は2、3度、作業場を訪れてくれました。王妃は、高い足場に登り、天井に翅を接着材で貼り付けたりもしました。彼女もそこに何が描かれているかはわかっていたはずですが、問い質しもせず、支持してくれました。そんな経緯がありましたから、完成後、徐々に、そこに描かれている内容が世間に知れるようになったんです。私の作品は、すべて、美的原則と倫理的価値の出会いによって成立しています。王宮の天井画、今回のエキシビジョンで展示している作品、すべてそうです。美的要素で人の目を惹くのですが、その裏には倫理的な問いかけが含まれています」

 

「パオラ王妃に次ぐマティルド王妃も、私の作品を支持してくれています。ベルギー王室がいち芸術家に作品制作を依頼するなど、ロダン以来なかったことですから、大変光栄です」『Heaven of Delight』は王妃のこころを動かした。ヤン・ファーブルのアートに王妃は影響を受け、その影響がヤン・ファーブルに及ぶ。美と倫理が作品をきっかけに、人びとのこころを繋ぎ、循環し始めたのかも知れない。この作品に触れたデンマーク国民の心情に変化は起きたのであろうか。「それはわかりませんが、こんなことがありました。6ヶ月の制作期間中、極右勢力からの攻撃に心身両面で晒されました。しかし、その時期、北海沿岸で亀の彫刻作品『Searching for Utopia(ユートピアを探して)』を制作していたのですが、この作品が一般的に高評価を得ますと、極右からの攻撃が止みました。自らの作品に救われた、とでもいえばいいのでしょうか。もしかしたら、美的で倫理的なアートには、人のこころを動かし、王室のルールをも変えてしまう『何か』があるのかも知れません。『Searching for Utopia』は制作に2年かかりました。人間の何倍もある巨大な雌のカメに等身大の私が跨っている彫刻です。巨大なカメの甲羅に載って、私は、トマス・モアがアントワープで書き遺した『ユートピア』を探しています」

 

結果的に王妃の寵を得たにせよ、ベルギーの象徴でもある王宮の天井に自らの作品を描くために、ヤン・ファーブルはちょっとした策を弄した。
「完成予想の大型模型を造りましたが、何がそこに描かれるか、王妃にはあえて知らせませんでした。事前に内容を知らせても、王妃は反対しなかったでしょうが、あらゆる関係者が反対することは目に見えていました。遠目から見れば、緑が鮮やかな美しい天井ですが、近くで見ると、抜き取られた象牙、切り取られた乳房といった図像が描かれていますので、王室関係者に反対されるのは当然でしょう。だから、説明するのを避けたんです」

 

ベルギーがコンゴで犯した蛮行を償うのは、ヤン・ファーブルにとって、喫緊の課題であった。彼にとって償いとは「ある循環のなかに投げ出されることを受け入れることです。この循環は、物質的なものを霊的なものへとつなぎなおすものです。また、償いとは、霊的なものが何らかの制度によって外から押しつけられるものではなく、試練と贖罪によってでしか到達されえないということをみとめること」(ルック・ファン・デン・ドリス他『ヤン・ファーブルの世界』佐伯隆幸、高橋信良他(訳)論創社2010年)だ。この発言からも伺えるように、神秘家としての資質を、ヤン・ファーブルは秘めている。「自らを『中世の芸術家』と捉えています。中世は、私にとって、インスピレーションの源です」中世、といっても、トマス・アクィナス以降、腐敗してしまったキリスト教神学が支配した中世ではない。腐敗する以前と、腐敗を免れた中世だ。ヤン・ファーブルの神秘観は、ギリシャ教父に端を発し、偽ディオニュシウス・アレオパギタによって鍛えあげられた、神との合一を目指す神秘観なのかも知れない。「美」と「倫理」の和解、という彼にとってのいち大テーマも、捉えようによっては、プラトンとアリストテレスの和解、と捉えられなくもない。「人間に対する強い信念、人間と神を結びつける紐帯の強さが、中世の芸術には反映されています。今はシニカルな時代で、現代アートの多くが、シニカルな手法であったり、経済力に頼った手法で生み出されています。私の作品は、そうではありません。人類の可能性、人類の脆さ、美の孕む危うさと向き合いながら、私は作品を創ります」

 

ヤン・ファーブルと意を同じくする先達がフランドルにはいた。『Heaven of Delight』のインスピレーション・ソースにもなった『快楽の園』の作者、ヒエロニムス・ボスだ。エスパスルイ・ヴィトン東京で開催されたエキシビジョンは、『Tribute to Hieronymus Bosch in Congo(2011-2013)』というタイトルからもわかるとおり、ヒエロニムス・ボスへのオマージュであり、アイディアの多くを『快楽の園』に負うところが大きい。「ヒエロニムス・ボスは、キリスト教界で尊敬を集めたにもかかわらず、この作品の中で、腐敗した教会の神父たちを「黒いツバメ」として非難しています。彼の作品に溢れるアレゴリーを分析すると、どんな現代のアーティストよりも、彼こそ現代芸術家である気がしてしまう。彼は、人間の社会を賞賛しつつ、社会権力を批判していたのです」

 

ボスの真摯過ぎる態度は、悪魔崇拝、邪教的と揶揄され、未だに異端として珍重されている節もある。しかし、ボスの作品から生きとし生けるものに対する誠実さを見出すヤン・ファーブルは、彼独自の、決して独りよがりにならない美術史観を築きあげている。

「彼の作品は、シンボリズムとシュールレアリズムの先駆けです。シュールレアリズム、シンボリズム、ともにフランスで始まった、とされていますが、ボスの作品を観れば、ベルギーに端を発していることが一目瞭然です。ボスは天才的な芸術家ですから、15世紀にシュールレアリズム、シンボリズムを生み出せたのです」ヤン・ファーブルは、ヒエロニムス・ボスが巧みに扱う緑と、フランドル派の伝統にヒントを得て、コンゴから美的要素を惹き出した。もちろん、彼の曽祖父、ジャン・アンリ・ファーブルの影響は言わずもがな。「再生や復活の象徴である、というエジプトの伝統ではなく、フランドル派の伝統からヒントを得ました。ヴァニタス(静止画)には、スカラベ、蝶、たくさんの昆虫がテーマとして描かれています。中でもスカラベは、生と死の架け橋、とされています。フランドル地方には、そのような解釈が歴史的に根付いていますので、スカラベを利用しました。今エキシビジョンの作品も『Heaven of Delight』同様、油絵具や水彩絵具は使ってはいませんが、絵画的技法で制作しました。いろいろな色が見えるでしょうが、全て同じスカラベでできています。接着する角度によって、青、緑、橙、あらゆる色に変化します。絵画とモザイク画のあいだ、光を伴う絵画です」

 

曽祖父がらみの話以外、あまり耳にすることのない幼いヤン・ファーブルの話。思いの外、普通の子供であった。「郵便配達人、化学者に憧れていました。代父母の息子さんが郵便配達人でして、そこいら中に手紙を配達して周るのを見て憧れました。化学者に憧れたのは、八歳の誕生プレゼントにミニチュア実験室をもらったからです。それがきっかけで、地下室は私の実験室になりました。そのせいでしょうか、アーティストになってからも、作品制作過程では様々な実験を繰り返しますし、郵便配達のように、未だに、自らのメッセージをあらゆるところに届けようとしています」

INTERVIEW BY KENTARO KAWAGUCHI
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