DUNE libartane

HORFEE INTERVIEW

たゆたえども沈まず

【巴里】
80年代にアメリカからきたグラフィティは、フランスの色々な制度や団体から反対されていたんだ。当時のパリは治安が悪くて、街はタグだらけだった。大きな問題が起きたのは2000年代に入ってから、オリンピックのために街の清掃予算が増え、パリがきれいになったときさ。2001年、パリの殆どのグラフィティ・ライターに対して大きな裁判が起こったんだ。その頃、電車に描くのが流行ってたからね。そこにやる気満々の警官達がやってきて、みんなを逮捕した。1000件以上の罪が立件された。殆どはフェイクだったんだよ。ライターたちの弁護士はそれを告訴して、結果9年間も裁判が続いた。この9年間、誰もボムをしなかったんだ。この時代のライターたちは殆どの時間を裁判に費やしてしまった。そうしたら、ステンシルやポスターを使ったストリート・アートが登場しだした。それらはグラフィティじゃない。この頃は、自由な比喩的表現がウケていたんだ。ペインティングや、コンセプチュアルなものがね。こうしてフランスはグラフィティに「NO」と言ったけれど、ストリートの中では生き続けた。電車や捕まるところ、消されるところにはボムをしない僕たちみたいな新しいジェレネーションがまた街を取り戻したんだ。けれど、6か月前にパリは再びクリーンアップされた。新しい法案が決まろうとしている。電車に描くやつらを全員捕まえたら、もう誰も描かなくなり、街は罰金が欲しいから今度は街中に描くやつらを捕まえようとしてるんだ。

【兆候】
ヨーロッパの至る所でルールは厳しくなってるけど、いずれは街もグラフィティに理解を示すように なっていくと思う。スペインで道にある配電ボックスに描いたグラフィティ・アーティストが捕まったケースでは、彼が美術館で展示を行ったことがあるということが焦点になった。“他の街の美術館が彼のことをアーティストと認めたのだから、この街では落書きを描いた人間とすることはできない”と彼の弁護士が主張したんだ。それで彼は無罪になった。フランスの美術館もこの動きを見ていて、オープンになってきていると思う。今後、多くのライターたちが消えていくと思う。本当に良いライターだけが残る時代になってきてる。ニューヨークでは既にそうなってるけど、ヨーロッパにもやっとそんな良い時代が来ているよ

【転機】
フランスでは、3 、4か月後に決まるだろう新しい法律によって、個人所有の壁に描かれた持ち主が告 訴しなくても、街は代わりに告訴することができるようになる。だから、もし一回でもタグを描いてる所を見つかったら、全ての自分のタグの写真を撮られファイリングされる。街からグラフィティは消えると思う。だからやっておいて良かった。ラッキーだった。1か月前、友達の家にいたら警察がファイルを持ってきたんだ。さらには、仕事場から実家まで家宅捜査した。25歳のその友達をグラフィティの世界に入れたのは僕だから、パニックになってる彼を落ち着かせて、キミはアーティストなんだから大丈夫だよってなだめた。家を掃除して警察にも堂々としなって。罰金は科せられるかもしれないけど、弁護士もいるしなんとかなるってね。結局彼は警察に行ったんだけど、そのときほかの事件で警察が忙しかったから、書類にサインしろと言われて解放されたよ。次は僕たちの番だと思うよ。だから僕たちは存在を消そうとしているんだ。ネットや本で多くの人は僕の作品を知っている。ギャングとかが僕たちをグラフィティの世界から足を洗った裏切り者と決めつけて、僕らのタグの上からタグを描いてカバーしていってくれる。悪者たちが僕たちのタグを街から消してくれるんだ、パーフェ クトだよね(笑)。タイミングが本当にいいよ。

【芸術】
今現在、インターネットのお陰で、ストリート・アートやグラフィティが大きなムーブメントになってる。作品をネットで見せたり、簡単に作品を買えたり、直接アーティストにコンタクトしてスタジオに行ったりできるようになったからね。こうして僕らの年代、30代のコレクターが増えてるのも、彼らはストリート・アートのシーンと一緒に育ってきてるからなんだ。ストリート・アート自体が安いってこともあいまってね。美術館のような団体は、グラフィティに着目してはいるけど、現段階では誰か詳しい人がプッシュするのを待っている状況だと思う。僕らは“作品がストリートにあって、それを売る”というだけじゃなく、中身を話せなきゃいけないと思う。だから自身を語るための文章や美術館で展示するのも必要。アメリカはリベラルだから受け入れられているけど、フランスは文化意識の高いカルチャーだから、僕たちも文化意識を高めなくちゃいけない。ストリートでやりながらインドアでも出来るというゲームだね。グラフィティを屋内に押し込めることは出来ない。理解を広めるためにも僕たちは、ストリートに描いたアートをそのまま室内に持ってくるんじゃなく、コンセプトを持ち込むようにするんだ。アーティストがポスターをつくって展示するのはお金の為で、そこにカルチャーなんかないんだ。

【今年】
パレドトーキョーの新しい展示スペースを使って展覧会を開催する予定なんだ。ジャーナリストに「いつも若いコンセプチャル・アーティストを扱ってるけど、アーバン・アートはなぜないんだ?」って指摘されて、ディレクターが僕にアーティストを集めるように言ったというわけさ。いつかは未定だけど、6月か8月か。あと年内はルトコフスキー68っていうギャラリーで12月にやる。そこのオーナーは、僕の作品が人々に理解され、投資を受けると信じてくれている。ストリートで自分のアイデンティティーを持つことと展覧会でアイデンティティーを持つこと、どちらも面白い。自分が自分のままでいれば、ギャラリーや美術館もしくはストリートでも、限界はないんだ。自分を偽ったり、外でタギングをしてるからって展覧会でもタギングするだけじゃダメなんだ。ストリートから屋内へ踏み入れるということは全く違う経験をしなくちゃいけない、グラフィティは名前を出してやらないからね。ギャラリーで展覧会を自分の名前でやると、そのレスポンスに直面しなくてはいけない。

【真髄】
いまの若いジェレネーションたちは戦いを経験していない。キャピタリズム、文化的にもアメリカナイズされている。自分が幼かった時代から、コーンフレークを食べて、コミックを読んでって、身の回りはアメリカからきたもので囲まれていた。自由だから外には色々な世界があるし、希望を与えられていた。今は何が欲しいものか選べる自由がある。戦争がなくて平和だから全ての自由を与えられている。外で飲んでもいいし、全てがフォークロアだよね。物価の高い街だけど、失業保険も受けられる。でも、全てが与えられているのに、それをどう具体的に使い形にするか分かっていない。戦うことを知らないのはエゴしか残らないから、いけないと思う。美大にいたときに面白い人に会ったことなんてなかった。誰も政治に関しての意見を表現したりしなかった。アートはシステムと戦っている人に触れたとき、面白いものが出来ると思うんだ。僕はそれが好きで、だからグラフィティを続けるんだ。ペイントを施すことでシステムに反抗するのは美しいと思う。そして、それは広告ではない。同じ考えを持つ人が、理解を示してくれる。僕は15歳のときから、旅をしてボムしてる。そこで分かったのは、有名になるのは大切じゃないってこと。それはハングリーな人が望むことであって、ストリート・アートで重要なのは“生活に登場させる”ってことだよ。美的感覚とかじゃなくて、行動なのさ。グラフィティはメッセージではないんだ。カルチャーをそのまま映し出す鏡なんだ。それはこのリベラルな世の中が生み出した最もピュアな存在なんだ。だからグラフィティ・アーティストは法律に違反をするということを理解し、それを繰り返すのみなんだ。それによってグラフィティは見下されることがあるし、才能あるグラフィティ・アーティストでも次のレベルにいくのに苦労をする。現代美術をマネしようとしたりしてしまう。だけど僕は次のアートはグラフィティだと思うよ。表現方法、その場が無数にあるからね。

INTERVIEW BY KAZUMI ASAMURA HAYASHI