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GENIEVE FIGGIS INTERVIEW

ジェニーベ・フィギスの美味しい黒絵画

退廃と悲運、そして突き抜けた陽気さが仲良く手を組んだかような作品を描くアイルランド人画家、ジェニーベ・フィギス。マリー・アントワネットの麗しくも悲運な世界と、エドガー・アラン・ポーのミステリアスでありながらユーモア溢れる世界とが絶妙に混ざり合わさることで、彼女の作品には”何か”が浮かび上がる。観る者によっては、心地良い吐き気を催すことだろう。シルクハットに杖の男性、窮屈なコルセットに華やかなドレスの女性、そして彼らのコミカルで猥褻な性生活…彼女の作品の多くは、過ぎ去った時代の牧歌的な貴族の生活を描いている。だが、描かれている上流階級の装飾品や漂う上品さ、そしてバロック調のインテリアは、絵の具が乾く前に溶けだす。そうして可愛らしいパステルカラーの下からは、間違った方向へ進む世界で何かが起きる前兆、そして啓示が浮かび上がってくるのだ。一方で、プチフールのパレットのようにカラフルに並んだおぞましい顔やはしゃぎ回る手足の骨は、死者の日を祝いにきたかのような愉快さも持ち合わせている。
ジョージ・コンドやカレン・キリムニック、さらにはリサ・ユスカヴェージなど、美術史において特別な存在である長老たちとの友好関係を大切にしているフィギス。彼女がそれと同じぐらい大切にしていることとして、過去を振り返ることが挙げられる。彼女は現在の地位に辿り着くまで、幾分か遠回りをしてきた。20代前半に家庭を持ち、子供たちが大きくなるまで大学院に入るのを待った。そして2012年に、ダブリンにあるNational College of Art & Designの博士号を取得。フィギスはアーティストが集まるような場所を避け、簡素なスタジオで制作を続けた。「孤独を感じたけれど、テクノロジーの進歩がそれを変えてくれた」と彼女は振り返る。
過去の名画へのオマージュに溢れているフィギスの作品がアートシーンへ登場したのは、つい最近のことである。作品を見せるために取得したツイッターのアカウントには、フォロワーの一人にかのリチャード・プリンスがいる。フォローしてからしばらくして、リチャードは作品を買うことができるのかSNS上で彼女に質問した。自分の作品に今まで誰も興味すら持ってなかったので、彼女は驚いた。そこから彼女のアクリル絵の具で描かれる小さな作品のファンは増え、国際的なギャラリストたちが彼女を新しい世界へリンクさせることとなった。まさにソーシャル・メディアによって生まれた、誰もが羨むシンデレラストーリーだ。
その後、彼女はHALF GALLERY、Harper’s Booksで個展を開催し、2014年にはリチャードが手掛けるフルトン・ライダーから『Making Love with the Devil』を出版。最近では2014年12月に、ロンドンのアルマイン・レック・ギャ ラリーで『All the Light We Cannot See』展を開催している。
そんな彼女に自身の葛藤と成功、そしてなぜ今でもアイルランドで活動を続けるのかなどといった内容を込めてコンタクトを試み、そのアンサーを受信した。

あなたは以前あるインタ ビューにおいて、習慣や伝統に従わず独自のビジュアル・コミュニケーションを作りだす女性アーティストたちを手放しで称賛していました。それについて詳しく教えていただけますか?

Genieve Figgis(以下、G): これまで私が影響を受けたアーティストの中には、多くの女性アーティストがいます。なぜかといえば、それはきっと彼女たちが私のやりたいことを体現していたからでしょう。彼女たちは言論の自由を明確に、そして素晴らしい形で表現していたのです。エリザベス・ペイトンのロマンチックな肖像画から、ダナ・シュッツの描く不思議な現代社会までね。ただアイルランドで育ったわたしには、はたしてそういったことができるのか疑問でした。

あなたはあまり作品制作に時間をかけないようですが、ペインティングの過程でどのパートが一番好きですか?言い方を変えれば、一体何があなたをペインティングに引きずり込むのでしょうか?

G:私の今の作品は、長年続けてきたリサーチの賜物なんです。長い間、ペイントを流し込んでは色々な素材を使って研究しました。周りの人は私がやろうとしていることを理解できず、少なくとも10年ぐらいは無駄にしたと思っていたみたいですが。でも私は気にしなかったし、決して諦めなかった。リサーチの期間は楽しかったです。アイディアを考えて、素材を準備する。スタジオで過ごす時間は、いつでも満ち足りた時間です。週7日、1日に8時間費やしているわ。考えて、準備して、映画を見て、ネットでリサーチして、そして音楽を聴く。全てが作品のためです。ペイントは常に実験です。それは挑戦であり、学ぶことであるとも言えるでしょう。どのくらいの時間がかかるか、またどうやって進めていくのか、何も分からないところから始めます。最終的にどんな作品になるかは、描き手である私にもわかりません。ペインティングを通して学び、観察する旅を楽しんでいるのです。そして時間と経験から、どの時点で作品が仕上がったかがおのずと分かるのです。

素材やプロセスをリサーチしていた頃には、何か特別なことを考えていたのですか?

G:ええ。大学院にいたときには、まるで動いているかのようなイメージを作ろうとしていました。ペイントやいろんな素材で、何が表現できるか試していたんです。例を挙げるなら、2つのイメージが混在する1人の人間を描こうとしたりしていましたね。

あなたは人物をおぞましく、抽象的に描写します。これは意図的に生み出したのか、それとも過程の中で偶然生み出されたものですか?

G:おぞましい人物像を描こうと思って描いたことはないわ。描き続けていく中でそうなったんです。ときどき可笑しく見えるけど、それは多分わたしのユーモアっていうことなんです。

一日にどれぐらい描くのですか?

G:その日によって違います。普段様々なサイズを描きますが、沢山のアイディアが浮かんだ日は、小さいサイズの作品をいくつか作ります。そんな時に描いた作品はそれぞれが違っていて、同じものは一つとしてないのです。ペイントがどんな1日になるかを決めるから、その流れにまかせ楽しむようにしています。

以前はダブリンに住んでいたとのことですが、どんなときに都会を懐かしく思いますか?

G:今の場所は広くて、街にも近いの。ここは都会の渋滞やノイズとは違い、とても気持ち良いんです。比べることは出来ないわ。でもダブリンの騒々しさと雰囲気も勿論好きです、いい意味でならね。

あなたは21歳のときに家庭を持ち、美術学校へ通い始めたのは30歳になってからです。珍しいと思いますが、大学院に通いだした頃はどうでした?

G:高校を卒業してから1年間アートの勉強をしました。でも人生の流れで家庭をもち、その時は人生が終わったと思いました。でも母親業は楽しかったし、沢山のエナジーで子供たちと接することができたのは本当に良い経験だった。子供たちが学校に行くようになったら、やりたいことをやろうとずっと思っていました。それで美大へ行ったの。夜と週末は大学の費用のために働いたわ。

作品制作への意欲と義務をこなしながら、どうやって家族と接していますか?

G:私の家族はそれぞれもう独り立ちできているの。だからほとんどスタジオにいるわ。今は夜や週末にくだらないことをやりながら、たまに家族一緒に時間を過ごします。

あなたは芸術に触れながら育ったのですか?

G:はい、父は家具だったり家の裏庭の増築だったり、毎日忙しくモノを作っていたわ。彼は色々なことに興味を持っていましたね。彼はアマチュアの天文学者であり、発明家であり、庭師であり、デコレーターでもあったりして、本当に様々なことをやっていたわ。

リチャード・プリンスがあなたのツイッターをフォローしたことから、あなたのアーティストとしてのキャリアが始まったと言っても過言ではないと思います。とても素晴らしいストーリーですね。『Making Love with the Devil』は、どのように出版まで至ったのですか?

G:私がアメリカでの初めての個展(ハーパーズ・ブック)の準備をしていたときに出版の話がきたんです。デビット・リマネリが私の初期作品についてエッセイを書いてくれると聞いて興奮したわ。

最近、インスタグラムにルーブル美術館の写真を掲載しましたね?ロココ調、そしてジャン・オノレ・フラゴナールと特別なコネクションを持っているあなたにとっては、とても良い体験となったのでは?

G:旅をしながらアートを見るのが好きだし、自分の仕事から離れてリサーチをすることは大切です。エジプト人のアートは昔から好きだったから、ルーブルのエジプト棟ではとても良い時間を過ごせた。それとメトロポリタン美術館でのアフリカン・アート展でも、心が吹き飛ばされたわ。私はギャラリー、美術館、コンサートやシアターなど、常に自分の身近にあるものに興味があります。

あなたは以前、自身がカバーしたフラゴナールの作品『ブランコ』について、何か悪いことの起こる前、すなわちフランス革命以前の、のどかな無邪気さに惹かれたと語っていました。このような金持ちの無関心さは現在も同じで、時代を映し出す鏡となっていますが、どう思いますか?

G:『ブランコ』はどうしてもカバーしたかった作品なんです。今まで幾つかの作品をカバーしているけれど、どれも崇高で、自分のものにするのは簡単ではなかった。ただカバーすることによって、その作品やその時代を通して自分の中で全く違う体験ができるの。『ブランコ』はその時代の象徴だったけれど、今の私たちの生活を反映しているかもしれないと思っています。

多くの作品を生み出しているあなたでも、誘惑に負けてサボることもあると聞きました。それはどんな時ですか?

G:スタジオへ行く途中にあるウィックローの山々、シュガーローフ・マウンテンとグレイストーンズ・ビーチ。天気の良い日にこれらが織り成す美しい景色に誘惑されるわ。ウィックロー・ウェイやグレンダロッホ・ウェイには、とても素敵な散歩コースがあるんです。

最近はどんなプロジェクトをやっているのですか?

G:この春にニューヨークでオペラ・デビューする人のためのショート・フィルムを作る依頼があって、ダブリンに住むアニメーターと一緒に90秒のフィルムを作りました。近いうちにオンラインで観れると思います。

『Pablo’s Castle』はどうやって生まれたのですか?

G:ロンドンのアルマイン・レックで個展を開催したとき、私たちはノルマンディにあるパブロ・ピカソの城(Pablo’s Castle)の歴史と考古学について話をしていたの。すぐに興味を持ったわ。ピカソは城をスタジオとし、現実逃避しながら夢を見ていたの。その時の会話で、私の興味の点と 点が一つの線になったの。美術、歴史そして考古学!あの場所はピカソが眠っている場所でもあるのです。

TEXT BY CAROL LEE
TRANSLATED BY TOMOKO OKAMOTO