DUNE libartane

GARDAR EIDE EINARSSON INTERVIEW

アーティストGARDARの産み出す破壊と創造

 破壊は創造の始まり。その原理は天地万物の創世から宗教、思想、音楽、美術…我々の文化が発展を遂げてきた色々な場面において用いるに相応しい。ただ正確には、単に破壊するだけでは何も産み出されはしない。不相応な事柄を単純に否定するのではなく、それを受け入れつつ否定すること、即ち止揚することでハーモニーが産まれるのである。そして、それを皆が心得ているかと言えば極めて疑わしい。そういった事情もあってか徹底した合理主義者たちによって、この世の流れは真逆になり、邪魔な物を排除=破壊し創造するといった悲劇的なコメディーになってしまった。

ノルウェー出身のアーティストGARDAR EIDE EINARSSONはニューヨークのTEAM GALLERYに所属し、ニューヨークと東京を忙しく行き来している。日本ではまだあまり彼の名前を見ることが少ないかもしれないが、つい先日もパリを代表する現代美術ギャラリーYVON LAMBERTでソロエキシビションを開催し、鼻の高いパリジャンたちからも高い評価を得た。GARDARの作品には様々な形の表現方法が用いられている。白と黒を基調にしたペインティングやシルクスクリーン、ライトボックスによる皮肉なメッセージ、ゴムタイヤやカラーコーンなどを用いた大規模なインスタレーションなど。彼の作品は言葉で、素材で、旗やシンボルで、そして革命の色である何物にも染まらない美しく力強い黒で、体制や社会に対しての破壊分子としてのメッセージを啓示している。そしてこれらの作品を用いて、ギャラリーの中に計算された美しい絶妙な“間”を産み出す。彼は破壊や退廃と言う社会の脅威を再生し美しく創造出来る希有な存在のアーティストである。パンクロックや柔術を愛し、体中には夥しい数の刺青。だからといって、彼を破壊に従事する反社会分子とするのは全くの見当違いである。それらもサイクルの一つなのである、アーティストGARDAR EIDE EINARSSONの産み出す美しい破壊と創造の。

子供の頃はどんな環境で育ったのですか?

 

GARDAR EIDE EINARSSON(以下、G):出身はノルウェーのオスロです。都市部から30分ぐらいの典型的な郊外育ちです。

アートに、そしてアーティストになることに興味を持ったきっかけはなんですか?

 

G:十代の頃はアートに全く興味がなく、18歳か19歳になってアーティストになることに興味を持ちました。建築家になる為に絵の勉強が必要だったのでアートスクールに通っていました。絵を描くのも建築家には必要ですからね。でも結果的にそこで美術史を学び、アートに興味を持ちました。その頃、60、70年代のコンセプチュアル・アート展など、自分の人生にとって大切ないくつかの展示に出会いました。

ノルウェーには古くよりバイキングや魔女狩り、狂戦士等の闇の伝説等があります。近代ではブラックメタルもその類ですね。そういったノルウェーの伝説等に興味はありましたか?また自身の作品や姿勢に影響を受けていますか?

 

G:自分が十代の頃に丁度ノルウェーでブラック・メタルが出始めました。ノルウェー独自のカルチャーを取り入れて、デス・メタルやアメリカンメタルから自分たちの 全く新しい、ローカルバージョンを作ったことに興味がありました。そののちにノルウェーではブラック・メタルが全盛期を迎えました。しかしながら私個人としては、彼らがノルウェーの歴史をよく引用していたことにはとても興味がありましたが、直接的な影響は受けてないと思います。それよりも、当時はノルウェーよりアメリカのストリート・カルチャーのほうに興味がありました。スケートするのが好きだったので、スケートカルチャーとリンクするパンク・ロックやグラフィックなど、アメリカの西海岸のカルチャーに影響受けていました。

好きなバンドはいますか?

 

G:最近の音楽はあまり聴かないです。イギリスの昔のスキンヘッズバンドやメタルミュージック、それとパンクですかね。あとはノルウェーのDARKTHRONEというバンドがいて、そのドラマーが友達なのですが、彼らはとても面白いです。勿論自分の好きなバンドの一つです。彼らはノルウェーでもかなり有名なバンドなのにライブは一切やらないんです。一度ドイツから5千万円でライブの依頼が来たんです。かなり良いオファーですよね。でも彼はいつも通りそのオファーを断って、郵便局で働いているんですよ(笑)。彼にとっては、安定した普通の仕事を続けることに意義があるようです(笑)。

若い時に衝撃を受けたものの影響は大きいと思いますが、当時のアメリカの西海岸のカルチャーと出会った時の衝撃とその魅力は何だったのでしょうか?

 

G:何故惹かれたかは分からないけど、当時のノルウェーではアメリカのスケートや音楽のカルチャーはとても小さくて、マイノリティでした。そういった部分に惹かれたのかも知れません。当時はスケートボードを売ることが違法でしたから、公道でスケートをすれば、当然警察に追われることになりました。

本当ですか?

 

G:今はもう合法だと思います。15歳の時にノルウェーで初めてタトゥーを入れましたが、当時はタトゥーを入れるのも違法でした。

今でもスケートしますか?

 

G:最近は怪我をしているからほとんどやっていないけど、今年の夏ぐらいからまた始めようと思っています。下手になっているとは思うけど…むしろ最近は柔術に嵌っています。東京やニューヨークでは勿論、旅先に行ってもほぼ毎日やっています。柔術の練習はとてもハードで疲れるし、毎日行くのは大変だけど、今では中 毒になっています。

そこまでのめり込む柔術の魅力はなんですか?

 

G:エクササイズとしだけでなく、毎日やることで、精神面が鍛えられるような気がしています。それに、柔術を含む“戦う”という行為は人間としてとてもピュアでシンプルな行為だと思います。人間にとって最初のスポーツが走ることなら、戦うという行為はその次にあたると思います。

今現在は主に、ニューヨークそして東京で活動していますが、それぞれ独自の文化をもつ都市に住んで何か影響受けている点などありますか?

 

G:凄く影響を受けていると思います。僕にとって両方の都市に住むことは良いことです。お互いまったく違う都市ですからね。僕の作品はそういったアーバンな環境の中で個人としてどうコミュニティーに順応して生きていくのかがテーマですから。今までの作品の90%はアメリカからの影響だったのが、最近では東京からの影響も見えてきました。ニューヨークと東京を行き来するのは効率もよくて、巨大な荷物を送ったりしなくて済むし、僕の作品制作には考えたりリサーチする時間が必要なので、東京では主にそこに時間を費やすことにしています。自身のプロダクションの速度を緩める効果もあり、とても重要です。

作品または人生において影響を与えた人物、アート、本等はありますか?

 

G:難しいですね、はっきり言ったらNOですね。自分にとってアートは孤独なプロセスだと思っています。所々は他から影響を受けていても、基本的には自分自身で日々考え続けて形になっていくものだと思います。アーティストとして、自分のプロジェクトにのめり込めばのめり込むほど、他からの影響は無くなってくるものです。そのとき興味があることを研究して、どんどん自分のプロジェクトにその成果を還元することが重要です。

個人的には辛辣でユーモアのあるメッセージが入っているライトボックスシリーズが好きです。それと作品やエキシビションのタイトルもとても好きで、毎回どんな言葉を選ぶのかとても楽しみです。

 

G:ありがとうございます。そうなんです、ユーモアは僕にとって大切で、僕の作品にはユーモアの要素を入れているんです。シリアスであったり、ダークであったりする題材を扱っていてもユーモアがどこかに含まれているのに、あまり気付いてもらえないのは残念です。作品に使う言葉は自身でリサーチして、いくつかの解釈ができるものを選んでいます。その言葉を通じてそれらが産まれる環境を巻き込むことが重要なんです。自分の作品は言語に基づいていると考えていますから、言葉がビジュアル的に使われていない作品でもタイトルは重要なのです。僕にとってアートとはペインティングだけでなく、ショーのタイトル、作品のタイトル、作品の隣にあるもの、空間そのすべてが作品なんです。

ニューヨークでは、9.11を経験して自身のクリエイションに影響を与えたと聞きました。日本で3.11を経験したことで自身のクリエイションへの影響等はありましたか?

 

G:最近のことだったのでまだ掴みきれてないような気がします。9.11の場合、しばらく時間が経ってから作品に影響があったことに気が付きました。でも、3.11から受けたショックのほうが、自分にとってより大きなものであった気がします。だから今後作品にもより大きな影響を与えていくと思います。

>現在の東京、ニューヨークのアートシーンについてどう思いますか?

 

G:僕は東京のアートシーンに関してはあまりよく知らないんです。でもニューヨークに比べたら随分小さいイメージです。アート界においてニューヨークは世界の中心で、最も重要な街だと思います。今後変わって行くかもしれないけれど、少なくとも今はそうだと思います。ニューヨークにいると、ギャラリーも沢山あるし賑やかだから積極的にアートと関わっているけど、東京ではまだあまり関わっていません。一つ言えるのは、東京にはコレクターが少ないですね。アートの売買がもっと普通の出来事として受け入れられてきたらもっと変わって行くと思います。ただ、ニューヨークのアートシーンがこのまま世界の中心であり続けるとは思いません。30年後には世界の中心でなくなっている可能性もあります。50年代のパリのように。日本はカルチャーに対して面白い解釈をするので、今後さらに日本のアートシーンが面白く成長して行くと思います。もう始まっているとは思いますが。

最後に今後のプロジェクトについて教えてください。

 

G:今年はいくつかの個展が控えています。3月にパリのYVON LAMBERT GALLERYでの個展が終わり、5月にノルウェーのBERGN KUNSTHALL、7月に東京のRAT HOLE GALLERYです。さらに3冊の本が新しく出版される予定です。東京の個展ではピンク・ペインティングを展示しようと思っています。周りからいつも、白黒以外は使わないのか、と聞かれるのが嫌になり色々考えた結果です。自分にとってピンクには二つの意味合いがある様な気がするんです。一つは建設現場なんかでのマーカーの色、そしてもう一方は僕の好きなパンクロックのピンクです。

INTERVIEW BY MASAKI NAITO, TSUNEHARU MAMIYA
PORTRAIT BY AKIMOTO FUKUDA