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ARI MARCOPOULOS INTERVIEW

写真集『NOT YET』から始まる新しい実験

数多の写真集を出版してきたアリ・マルコポロスが新しい写真集『NOT YET』で試みたのは、自分の撮った写真を家族や友人に選出してもらうということだった。スーザン・ソンダグは、写真を撮るという行為が世界との一定の関係に自分を置くことだと語っている。だとすれば、この写真集の中には全く異なる世界がいくつも繰り広げられている。それは、異なる写真の選び手がそれぞれの距離で、アリの写真と関係しているからだろう。マシュー・バーニー、ジェニファー・グード、ピエール・ユイグ、カイロ・マルコポロス、イーサン・マルコポロス、ポール・マッカーシー、バリー・マッギー、コニー・プリティル、デイヴィッド・ストレテル、カラ・ウォーカーら10人の友人や家族の視点が本には収められている。個人的に最も興味を惹かれたのは、彼の二人の息子によるキュレーションだ。兄であるカイロは家族の写真などカラー写真で多く選び、ノスタルジックだ。一方弟のイーサンは白黒で抽象的な風景など静物の美しさをセクションの全体を使い、コンテンポラリーに表現している。「100人に同じ写真を見せたら、100通りの好みがかえってくる」と本人も語るように、その違いが存分に楽しめる写真集になっている。

新しい写真集の概要を教えてもらってもいいですか?

Ari Marcopoulos(以下、A):最初はわりと普通な写真集にするはずだったんだ。だけど、今まで散々写真集を出してきたし。また僕が主体となって自分の写真集を出すっていう普通のことはやりたくなかったんだ。だから他の人がキュレーションしたらって思ったんだ。製本するときの1台が16ページだから、1人づつに16ページを担当してもらうことにした。キュレーションしてもらいたい10人を見つけて、頼んだ。そしてインタビューやエッセイ込みのテキストページを他の3人にやってもらうことにしたんだ。5セクションは自分でも選んだ。だから様々な視点から僕の作品を見てもらえるようになっていると思うよ。結果的に色々な時代や様々な側面の作品が構成されたんだ。

タイトルを決めた理由はなんですか?

A:最後の最後まで決まらなくて、“Not Yet”(まだ)にしたんだ(笑)。変なタイトルだし、混乱を招くから好きだよ。いろんな人に「Not Yet(まだ)が出たよ!」とか言うと「は?」って言われるからね。抽象的で様々な意味にとられるから、いいかなって思ったんだよ。僕の作品のタイトルはピンポイントに、その作品を一言で表すようなものではなく、どちらかと言うとフィーリングをちょっと足すような感じにしてる。

『Not Yet』の中で、誰がキュレートしたセクションがお気に入りですか?

A:自分のが1番好き(笑)。全部好きだよ、違う人10人にキュレーションしてもらうこと自体が面白いし。それを並べた時に出来上がるまた新しい感覚がいいんだ。どれも全然違うし、サプライズ要素もある。僕はあまり順位をつけるのは好きじゃないし、そもそも何かを選ぶシチュエーションに自分を置きたくない。人のポートレイトを撮る時なんか、基本的にあんまり撮らないようにしてる。あとで選びたくないから。同じカットの写真を10枚撮ったとしてそれを100人に「どれが1番いい?」って聞いたらみんな違うことを言うだろう?それで分かんなくなっちゃうのと一緒で、この本には様々なセクションがあってどれが好きかは読者みんなそれぞれ勝手に判断してほしい(笑)。僕にとっては全てのセクションが魅力的で、自分の作品を他の人にキュレーションしてもらうことによってまた新しい視点で自分の作品が観れるしね。ただ1番びっくりさせられたのが下の息子のイーサンがキュレーションしたセクションで、家族写真がなかったんだよ。

若者のエネルギーは、あなたの多くの写真に写っている要素です。なぜあなたはそのような瞬間を切り取るのですか?

A:これは16ページごとに大きく内容が変わるし、紙も変わる。19の違った場面が1つの本に詰め込まれているんだ。“捉える”っていうより、まあ写真だから既存する事実の1シーンを捉えることではあるんだけど、自分の惹かれるもの、興味がわくものの集まりってだけだよ。僕は幸運にも自分の気持ちを表現し、形にすることができただけ。今は写真を撮ることがすごく流行っていて世の中にはたくさんの写真があるけど、僕は僕のスタイルでただ興味があるものを撮り続けるだけだよ。ただ、現像することだけは続けていこうと思っているよ。今の時代は画面上でしか写真がないことが多々あるけど、デジタルより紙がやっぱり好きだし、最近は現像技術が上がったし、これからも習得していきたいと思う。

80年代にNYに渡って以降、ストリートカルチャー、そしてアートを大切に被写体としています。そのサブジェクトに惹かれる理由は、何だと思いますか?

A:僕が関与してきた全てのことは成り行きで、自分の周りに起きていたことの鏡なんだ。あんまり自分でなにかを探しにいったりしたことはないんだ。僕の興味のあることや行きたいところ、その気持ちになんとなく従い、その過程で出会って対象を撮ってるだけだよ。例えば、新聞でチリに魚釣りが盛んな小さな村があるから面白そうだしいって写真を撮ってみよう、とかそういうタイプじゃないんだ。目に入ったものを写真に収めているだけだよ。僕の写真はニューヨークやカリフォルニアのものが多いのは、住んでいたことがあって親近感があったから。だから2000年以降日本によく来るようになってからは、東京や日本の色々なところで写真を撮るようになっていったんだ。最初の時は観光客みたいな気分だし、何が何だか全然分からなくて写真を撮る気にはなれなかったけどね。

フィルムカメラを使い続けていますが、フィルムとデジタル、あなたにとってその違いは何ですか?

A:フィルムはサプライズが起こるから好きなんだ。現像して何が写っているかを見るのが面白いんだよ。もちろん使いなれているっていうのもあるけどね。もちろんデジタルでも撮っているけど、基本ずっとフィルムでやってきたからね。90年代の終わりか2000年代だったか定かではないけど、デジタルカメラが出てきたときにはとりあえず買って遊んでみたよ。全然面白くなかったけど。スノーボーダーの写真集の『Transitions and Exits』にデジタルの写真を入れたんだっけ? あれは映像の静止画かも。『Within Arm’s Reach』にはデジタルの写真を使った記憶がある。デジタル写真ってとても綺麗に出てきたものもあったけど、ほとんどががっかりするものだった。振り返ってみると映像も同じ。8ミリビデオやHi-8で撮り始めて凄くいいものが撮れたと思っていた。そしたらそのうちデジタルで4K、5K、6Kってどんどん出てきて、クオリティが上がって感動したものの、今見ると昔の映像のがよく見えちゃったりするんだ。デジタルも、まあ、使うよ。フィルムはもちろん使い続けているし。使えるツールは全て使うよ。デジタルのがいいと思う場面にはデジタルを使うし、フィルムのほうがいいと思えばフィルムを使う。でもやっぱり個人的にはフィルムで味わえるサプライズには勝てないんだ。凄くいいのが撮れたと思って次のシーンに移ったものの、出来上がってみたらクソだった、とかもあるし(笑)。その瞬間は取り戻せないけど、それはそれでいいんだ。

年代別に、印象に残ったことを教えてもらえますか?まずは80年代。

A:80年代は、ぼくがニューヨークに移った時代。特にこれといった瞬間というよりも、ニューヨークに住み始めたこと自体が1番印象的だね。そこで初めてラップに触れて、若いアーティストたちに出会って、イーストビレッジにあったたくさんのギャラリーに行って、その界隈の人たちの周りにいれたこと、その当事者の一人というよりもその周りにいたことがすごく楽しかった。その時の街のエネルギーはとても強くて僕にとってはかなり衝撃的だったよ。

90年代はいかがですか?

A:90年代は結婚もしたし、家族もできた。この時代にグループなどの集団を撮り始めたのかな。スケーターやスノーボーダー、ビースティー・ボーイズや様々な家族など。90年代にはニューヨークから北カルフォルニアに引っ越して10年住んだんだけど、都会の生活から自然と共存する生活に変わって、ランドスケープの写真も撮るようになった。それは大きな変化だったよ。

00年代はいかがですか?

A:この頃、自己が確立したかな。以前と比べ雑誌の仕事をしなくなって、本当に自分のために写真を撮り始めた。自分の写真が自分の心をそのまま反映するようになったんだ。

2010年代は?

A:ここ5年ほどではとくに何も変わってないかな(笑)。まだ特別印象的なことはないかも。16歳くらいのときから映像を作ってきたんだけど、引越しとかで無くなっちゃっているんだよね。1990年に初めてちゃんと映像をつくったんだけど。そこからインスタレーション用だったり、様々な場面でショートフィルムを回し始めたんだ。今でも同じようなことはやっているよ。静止画よりもムービーの方が適していると思ったときに、映像を撮っているだけなんだけど。被写体によって決めているよ。今まで作ってきたのは1分間の映像だったんだけど、1番最近作ったのは男の子2人がバスケットボールをしてる25分間の映像だよ。

今までのキャリアの中で様々なものを被写体としてきましたが、今まで撮ったことがなく、今後撮ってみたいと思うものはありますか?

A:振り返って見ると男性の写真が多いんだ。だから女性にフォーカスした写真をとっていこうかなと思っているよ。あとは氷河とかかな、氷河は撮りたいかも。

写真を撮る際に、最も大切にしていることは?

A:常に自分自身の延長であることかな。1番最初に写真を学び始めた時に大事だったことって出来上がった写真の光の入り方だったり、構成だったり、そんなことを気にしていたけど、今は自分の見たものや気持ちがどれだけ正確に写っているかが大切だと思うようになった。撮った写真の扱い方がとても大切だよ。写真を見て、意味を考えて、それをどのように人に見せたら正確に僕の思いが伝えられるか考えることが大切だと思う。写真の美しさは写っているもの自体ではなくて、それを見て自分が感じる気持ちだと思うよ。そしてその気持ちが他の人にも味わってもらえたらいいなと思っている。

あなたにとって、写真を撮るということは何ですか?

A:それは「写真をあげる」ってことなんだよね。僕にとって1番大切なことは、写真を撮って終わるだけじゃなくて、ジンだったり本だったりかたちにして人にあげることなんだ。僕が満足してなお、人に見て、何かを感じてもらえること。ケータイとかパソコンのスクリーンとかでもいいし、気軽に見てもらえること。それだけなんだ。写真は自分が体験したことをかたちとして残すことだし、今でも昔の写真を見るのが好きだし。僕にはそれしかできないからやっているのかもしれないけど。一種の恋愛なのかもしれない。自分の子供を愛するように僕は写真のことを愛している。自分の奥深くに根付いているものだし、16歳くらいからずっとあるものだから。言葉でどう言えばいいのかわからないけど魔法みたいなものなんだ。これは他のアーティスト、ライター、ミュージシャン、ダンサー、パフォーマーの人たちにも言えることなのかもしれないけど、どこか魔法にかかったみたいなものなんだよ。それを掴みたくて、追い求めて、表現したくて、必死に頑張るんだ。永遠に達成できないものだし、それが美しいんだ。年齢を重ねるにつれて知識も増えて、集中できるようになるんだけど、パズルは解決できないんだ。ミステリアスだし、謎だらけだし。でもだからハマるんだよね、だから続けるんだ。

TEXT AND INTERVIEW BY KAZUMI ASAMURA HAYA SHI