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KENNETH ANGER INTERVIEW

ハリウッドのフィクサー、ここに在り

「パイオニア」「レジェンド」、どんな枕詞もケネス・アンガーと彼の作品を説明するには不十分だ。ハリウッドの悪名高きミステリーであり、元祖暴れん坊将軍であるアンガー氏は、ほぼ70年のあいだ、アメリカのメイン・ストリームとは距離を保ち続けてきた。観客の精神と視覚を滅茶苦茶にしてしまう100%オリジナルな短編作品を、挑戦的で実験的なアンダーグラウンド・ムービー・メーカーとして、ムービー・カメラそのものが目新しいツールであった時代から、彼は制作し続けている。『スコピオ・ライジング』,『Kustom Kar Komandos(K.K.K.)』といったカルト・ムービーの古典を世間に提示し、映画人として「本物」の称号を勝ち得たのも、彼を置いて他に見当たらない。デビッド・リンチ、マーティン・スコセッシ、ジョン・ウォーターズ……、ケネス・アンガーに魅せられ、信者になったクリエイターは、まだまだ沢山いる。彼らは、邪神崇拝教団さながらのアンガー王国で奥義を授かり、先鋭的なクリエイターへ変貌を遂げた。ゲイ・フィルムの第一人者とされるケネス・アンガーが、1947年に『Fireworks』を完成させるまで、ゲイ・シネマは隠れ同性愛者の妄想でしかなく、オカルトは銀幕の領域に足を踏み入れる余地すら無かったことを、まず了解して欲しい。彼曰く「映画制作」,「映像詩創造」という儀式から産まれる異端作品は、チャネリングの手段であり、ポピュラー・ミュージックからアレイスター・クロウリーの精神哲学「テレマ」まで、多岐に渡る彼の指向から厳選された対象を研究する場でもある。彼の特異な観覚は、テネシー・ウィリアムス、レッド・ツェッペリン、J・ポール・ゲティといった著名文化人を、長い間魅了し続けている。さらにその観覚の趣くままに、マンソン・ファミリーのボビー・ベルソレイユとは、『ルシファー・ライジング』のサウンド・トラックで奇妙にも美しいコラボレーションを果たした。映画制作という本業の他にも、アンガーは、「虚栄の都市」のゴシップを暴露した『ハリウッド・バビロン』で自身の悪名を高めた。ちなみにこの著作は出版以後、セレブ・ゴシップ・マガジンの手本であり続けている。現在齢85歳のアンガーは、未だ誰の言うことも聞かず、臆すること無く立ち回り、今でも映像詩を紡ぎ、ハリウッドを筆頭とするスタンダードに迎合することを、頑に拒否し続けている。完璧にスーツを着こなし、相変わらずのハッタリの効いた出で立ちで、Technicolor Skullというバンドでテルミンを弄ぶ彼は、誰よりもクールだ。そんなケネス・アンガーと、ロス・フェリスのMOCA館長ジェフリー・ダイチ邸で、MOCAにて開催される『ICONS』という彼の回顧展、彼の祖母、エリオット・スミスの自殺、YouTube、UFO、その他諸々について話せたことは、とてもラッキーだった。

どのくらいハリウッドに住んでいるんですか?以前はロンドンでしたよね。

ケネス・アンガー(以下KA):何度も引っ越した。ここ2~3年はハリウッドだ。実はサンタ・モニカ生まれなんだ。

あなたの仕事は、世界を股にかけた地理的要素、オカルト、ハリウッドを中心としたカリフォルニアのサブカルチャーが複雑に絡んでいるうえに、長期間のヨーロッパ生活で、当地の哲学、芸術、映画に影響を受けていますよね。そんな広範に渡る要素があるにも関わらず、最終的にロサンジェルスと関わるのはどうしてなんですか?

KA:ここに定住する気はない。だけど、ここが好きなんだ。もっといったら、ここの気候が好きなんだ。友達も沢山いる。加えて、『ハリウッド・バビロン』のおかげで、ハリウッドの歴史との関わりもある。ある意味、定住しているようなもんだ。

それまで誰も触れることが無かった内容の『ハリウッド・バビロン』が出版されたのは、皆にとっては、天啓のようなものだったんでしょうね。

KA:そうだろう。私が先駆者だ。

なんにおいてもそうですよね。それだけに、あの本に関してはクレームも多かったのでは?

KA:私は当時パリに住んでいて、フランソワーズ・トリュフォーなんかにハリウッドの話をしていたんだ。そしたら彼らに、そのネタを1950年にパリで創刊された雑誌『カイエ・ドゥ・シネマ』で書いたらどうだ、と提案されたんだよ。だから書いてみた。そうこうしているうちに、本にしたら絶対面白いからやってみては、とそそのかされたんだ。フランス語で原稿を書いていたから、本はフランスのJ.J.パーヴァートから出版された。原題は『Hollywood Babylone』。

だからフランス語が上手なんですね。

KA:私はフランス語のエキスパートではないからそこまでではない。だけど、書くのは楽しかったよ。

まだフランス語は使えますか?

KA:使おうと思えばね。

すごいですね。話は変わりますけれど、オカルトとハリウッドのセレブ信奉に何か共通点を見出したのですか?どちらもあなたの得意とするところですよね、どちらの関係者とも親交がありますし。

KA:そうだ。一方が一方の戯画みたいなものだ。ハリウッドが戯画、良くも悪くも。ハリウッドでは全てが誇張される。ここで私のいうハリウッドは’20~’60年代の古のハリウッドだ。今のハリウッドは、当時のハリウッドの青ざめた焼き直しでしかない。

古のハリウッドが懐かしいですか?

KA:懐かしいかどうかなんてのは、昔のことだ。

大勢のコンテンポラリー・アーティストがあなたの影響を受けていることはご存知ですか?デヴィッド・リンチやBruce La Bruceのようなクリエイターから、本当に若い芸術家まで、挙げればきりがありません。

KA:それはうれしいね。ファンレターをくれる類いのファン心理ではなく、彼らは私のこと、私の作品をキチンと評価してくれているはずだからな。

あなたが他の誰かの作品に関心があるかどうかは別にしても、彼らは作品を通じて、あなたへの敬意を表していますよ。

KA:たまに映画祭に招待されたりもする。そんなチャンスがあれば、他人の作品を見たりもするよ。

明らかにあなたに影響を受けた作品を見て、不愉快な思いをすることはありませんか?

KA:まったくないな。

どんな幼少期をすごしましたか?

KA:最初はサンタモニカで、次はビバリーヒルズ。そこでビバリーヒルズ高校に通った。そこは、私立学校みたいなもんだ。そこの生徒には、20世紀フォックス社のプロダクション・マネージャーになったヤツもいて、そいつは私の右隣に住んでいた。良い友達だよ。そんな感じで、映画産業内には誰かしら友達はいるが、私はインデペンデント・アーティストでいることを選んだ。ハリウッドの門をノックしたことは一度もないな。

祖母から大きな影響を受けた、というのは本当ですか?

KA:そうだ、祖母はユナイテッド・アーティスト社の衣装担当だった。

彼女との関係は良好だったんですか?

KA:勿論。祖母は不動産で金を儲けた。その金で、パシフィック・パリセイズという小さなコミュニティを開発した。そこの道が狭くて一方通行だらけだったのが、祖母にとっては凄いストレスだったから、そんなことをしたんだ。祖母は油絵が達者だった。外で絵を描く、いわゆるプレネール画家だ。春には一緒に、信じられないようなオレンジ色のカリフォルニア・ポピーと紫色のルピナスに彩られた、花畑に一緒に行ったものだ。祖母は、Women Painters of the Westの会長 も務めていた。

我が道を行く方だったんですね。

KA:そうだ。私は祖母の絵具箱を抱えて、ついて回っていたんだ。

なるほど、だからあなたの作品は色彩が豊かなんですね。それに、祖母が映画産業内にいたり、ハリウッドで色々な経験をしながら育ったからこそ、今のハリウッドとの繋がりをあまり感じないんですね。

KA:そういうことだろうな。カメラマンや編集者といった技術者の友人は沢山いるが、いわゆるスターの類いに関心を持ったことは無い。

ハリウッド・システムに参加しようとは思わなかったんですね?

KA:思わなかった。

あなたは、アンダーグラウンド映画制作の世界を切り拓き、方法論を確立しましたね。だれもあなたほどのことはしていないし、あなた以前にもそんなクリエイターはいませんよ。あなたはどれだけの映画を制作したんですか?

KA:25本くらいだ。

本当に?たったの25本?もっとありませんか?

KA:忘れてる作品もあるかも知れない。

あなたは自身のことを、通常の映画制作の意味でのストーリー・テラーだと思いますか?それとも、あなたはアーティストで、自身の作品をアートととらえていますか?

KA:映像詩だ。私の作品は物語ではないから、対話は使わない。対話の替わりに音楽を使う。だから、印象派絵画のような視覚印象を与えるんだ。

無声映画にも対話がありませんが、物語があります。あなたの映画には、物語の替わりに音楽がある。

KA:そう、全編を貫く一筋の流れだ。

では、物語をもとに映画を制作するのではないんですね?

KA:アイディアがもとだ。それは決して、ジョーがいてメアリーがいて、といったモノではない。

詩を書くんですか?

KA:フィルムの中に視覚的にね。私の作品が私の詩なんだ。

あなたの作品中のメイクや衣装からは、純潔無垢な印象を受けます。それは大変見目麗しいものです。そして、インタヴューなどで見るあなたも、今日の出で立ちのようにいつも、バシッ、と決めていますが、あなたの人生や作品にとって、ファッションは重要な構成要素なのですか?

KA:そうだ。それはアティチュードに関わることだ。アティチュードは重要だ。そういった意味で、私は典型的カリフォルニア野郎ではない。カリフォルニア野郎は、いつでもTシャツにブルー・ジーンズだからな。私と違ってカジュアルだ。

どちらかというと、あなたはヨーロッパ・スタイルですよね。次はちょっと滑稽な質問ですが、以前あなたがUFOを目撃したことについてインタビューで語っていましたが、それは本当なんですか?

KA:本当だとも。’60年代のことだ。懐かしいよ。

最後に目撃したのはいつですか?

KA:60年代以来見ていない。

UFOはどんな感じでしたか?

KA:謎だ。私は神秘的なことが好きだから、それは謎のままにしておきたい。それが地球外から飛来したのか、時空間移動で現れたのか、どちらでも構わない。何度か目撃した中でも、イングランドに住んでいた際の目撃体験は、何よりも素晴らしかった。しかもその時は、私の他にも2~3人の目撃者がいた。みんなが同じモノを見ていたんだ。それは今でも出現しているハズだ。

だけど、60年代以降は目撃していないんですよね?

KA:全くだ。’80年代にも2~3回目撃した気はするがね。主には、’60年代の体験が強烈だ。

地球外生命体の存在を信じますか?

KA:信じるか否かの問題ではない。私は実際に目撃した。他にも目撃した人間が何人かいる。サンフランシスコのクリフ・ハウスでの目撃体験には興奮したな。

聞かせて下さい。

KA:早朝5時、友人数人と一緒に夜通しのパーティーから帰るときの体験だ。私が、水平線を拝むぞ、と友人たちを誘ったんだ。何かが起きるのを予感していた気もするな。するとどうだろう、水平線の下から太平洋の上に、円形の物体が現れ、私たちの頭上めがけて飛んで来たんだ。それは明星を遮るくらい大きかった。色は黒。その物体の表面に、オレンジ色に光る楕円形のコックピットを見つけたよ。中も見えた。中ではオレンジ色のライトが点滅していたんだ。それはそれは特異なモノだったな。カメラを持っていれば、凄い写真が撮れていたはずだ。

カメラが無かったのが悔やまれますね、あれば大変なことになっていたでしょう。

KA:そりゃそうだとも。私は神秘的なアイディアが好きなんだ。そしてそれが神秘のままであることもね。

あなたには生き生きとした想像力と、ファンタジックな感性が満ち溢れていたんですね。それは今でもそうなんですか?

KA:間違いなくそうだろう。私には溢れんばかりのアイディアがある。

現在制作途中の作品はありますか?

KA:それはいつでもある。今取りかかっているプロジェクトは、飛行船をテーマにした作品で、ニュース・リールに残された飛行船の記録を編集している最中だ。私にとっては2作目の飛行船作品で、タイトルは『Airship 2』。今年の終わりには完成する予定だ。

ところで『ハリウッド・バビロン3』はどうなっているんですか?実際に有り得る話なんですか、それともただの噂なんですか?

KA:『3』のためにノートは作った。トム・クルーズとサイエントロジーのネタをメインに据えたいのだが、それはとんでもないことになりそうだ。なんせヤツらは訴訟好きなもんでね。そんなイザコザは、私にとって何の価値も無いからな。まあ、それが無くてもネタはまだまだあるから、出版することは可能だ。

一般のタブロイド紙が掴んでないようなネタを持っているんですか?

KA:ヤツらは私からパクるんだよ。私がハリウッドにいたころ、タブロイド記者はろくすっぽ記事を書けなかったんだ。これは良いネタだから掘り下げてみよう、ってな具合でしかなかった。しかしそれではダメだ。私はパンチのある話が好きなんだ。誰と誰が寝た、なんてのは、全くもって退屈だからな。

パンチとは?

KA:それは、桁外れな出来事、もしくはシュールレアリズムだ。

そんな桁外れなことが、今の時代に起こり得ると思いますか?

KA:私はそんなことが起こるのを心待ちにしている。だから、それがあった’20年代のハリウッドが大好きだ。

あなたが書いたようなことが、まだ書けなかった時代ですね。

KA:カーラ・ボウやルドルフ・ヴァレンチノがいた時代だ。彼らは桁外れな輝きを放っていた。

そんなスターが出演する映画を観て育ったんですよね?

KA:そう、もう昔のことだがね。祖母はそんな映画のことを良く知っていた。そしてそのことについて話をしてくれた。

初めて映画を観に行ったときに、映画の虜になったんですか?

KA:すぐに虜になったよ。そして自分の作品を創りたくなった。

映画ファンでいるよりも、映画を創りたくなったんですね?

KA:いつでもそうありたいもんだ。

若い新進監督たちは、あなたが作品の中で音楽に重要な役割を与える、あなた独自の手法を模倣しています。そんな現状をみると、あなたと音楽の関係が一体どういったものなのか、不思議でなりません。もしよければ、そのことについて聞かせて下さい。また、エリオット・スミスの出会いについても。彼の自殺にまつわる作品を創ったほどですからね。

KA:彼がシルバー・レイクに住んでいた頃、私も丁度そこに住んでいた。ここから、2マイルほど行ったところだ。だから知り合ったんだ。

彼があなたのファンだったから、訪ねてきたんですか?

KA:ああ。私も彼の音楽が好きだった。彼は重度のノイローゼだった。そして、彼は紛れも無いアーティストだった。彼を訪ねたとき、ガール・フレンドとくだらない痴話げんかをしていたよ。確か彼は自刺したんだな。しかし、日本文化の中では自殺は慣例だろう。私はそのことを学んでいたから、大して驚かなかったよ。

音楽との関係は?

KA:いつでも音楽を愛している。『スコピオ・ライジング』では、制作期間だった’64年のポピュラー・ソングの中から、映像に対する皮肉に満ちた注釈になるような曲を、とても慎重に選択した。「ブルーベルベット」を最初に使ったのは私で、リンチは私の真似をしたんだ。

彼に会ったことは?

KA:ない。

日本映画のことは知っていますか?

KA:第二次世界大戦前に、日本に行ったことがある。まだ子どもだったがね、8歳だった。日本の名家で姉が家庭教師をしていた。私たちは、イギリス人やらフランス人やらアメリカ人のための、横浜山手の外国人居留区に住んでいたんだ。そのときに、素晴らしい日本映画を沢山観た。映画に対する日本人独自の取り組み方が、非常に詩的で気に入ったよ。

お気に入りの監督は?

KA:すぐには思い出せない。

あなたが映画制作を始めた頃、誰もあなたがやっていることを理解出来なかったでしょう。非常に実験的だ、という感想が関の山だったような気がします。そして検閲問題に巻き込まれますね。昔にくらべて、今のカルチャーは実験的な企画や理念に対して、オープンですか?それとも大差はないですか?

KA:私が若かった頃のような検閲の脅威はない。しかし、検閲は私の作品が引き起こしてしまう問題でもある。一度こんなことがあった。私は制作のため、スワード・ストリートにあるコンソリデート・ラボを使わざるを得なかった。リパブリック・ピクチャーズの経営する有名なラボで、そこはビジネスを度外視して運営されていた。しかし、私が『Fireworks』を制作していると、当時のラボ長が私をFBIに告発したんだ。彼は元々海軍軍人で、私の作品が海軍を侮辱している、と思ったらしいんだ。でも、他の職員が、大した映画じゃないから気にすることないだろ、といってくれたおかげで事無きを得た。

本当の意味での検閲ではなかったのですね。

KA:そうだ。本当の意味の検閲ではない。しかし、問題は検閲よりも経済的なことだ。金を作ることが大問題だ。幾許かの助成金を、グッゲンハイムや似たようなところから手に入れたこともあるが、そのための努力は阿呆らしい。しかし、私にはプライベート・スポンサーやパトロンがいる。高名なゲティ一族の、ポール・ゲティ卿は、本当に素晴らしいスポンサーだ。『Mickey Mouse』 を完成させることが出来たのも、彼のおかげだよ。

まさに今日、それを観たところです。

KA:何処で?

YouTubeです。

KA:YouTubeで観たのか……

嫌いなんですか?

KA:あそこで何が起こっているかは知らない。けれども、あそこで私の作品を観るのは、私から盗みを働いているようなものだ。 私はビタ一文受け取っていない。これは由々しき問題だ。これではまるで海賊の天下じゃないか……

INTERVIEW BY CAROL LEE
PORTRAIT BY KAZUMI ASAMURA
TRANSLATED BY KENTARO KAWAGUCHI